新近江名所図会
新近江名所圖會 第392回 歩道に建てられた謎の石柱―野洲川旧河道の名残―
守山市につくられた「びわこ地球市民の森」は、未来の子供達のために楽しめる森づくりの場としてオープンしました。面積42.5ヘクタールの敷地に5つのゾーンを設けた公園は、休日になると多くの人々で賑わいます。
◆謎の石柱
その公園の中で、一番南にある「出会いのゾーン」の脇に「浜街道」と呼ばれる道路があります。その歩道脇には、公園の幅に合わせて4つの石柱が置かれていることに、気付いた方はおられるでしょうか(画像1・2)? この石柱は、かつてこの場所に川が流れていた重要な証拠なのです。
この石柱をよく観察すると南側にある2つの石柱に「野洲川」「列系図橋」、北側の石柱には「やすがわ」「れっけいづばし」という銘板が付いています(画像3:野洲川は省略しました)。このことから、この石柱は橋の渡り口の四隅に建てられた親柱であることがわかります。つまり、かつてこの場所に野洲川があって橋が架けられていたと考えられます。
◆野洲川新川(しんせん)と野洲川旧河道
画像4は昭和53年(1978)に撮影された空中写真です。詳細に観察すると、北西に向かって流れている野洲川が2つに別れ、うねりながら琵琶湖にそそいでいることがわかります。2つに別れている場所から、琵琶湖に向かって直線に流れる川の存在に気付きます。これが「野洲川新川」と呼ぶ現在の野洲川になります。この写真は、工事中の野洲川新川と野洲川旧河道が同時に存在したころに撮影された、貴重な写真と言えます。
野洲川は、滋賀県最大の河川です。鈴鹿山地を水源とする川は、琵琶湖に水を注ぎながら現在の守山市・栗東市・野洲市の範囲に、広大な平地を作り上げました。それは「野洲川扇状地(せんじょうち)」と呼ばれて人々の生活の場として使われています。
野洲川は、扇状地を作り上げながら河道を変えていきました。現在、守山市と草津市の市境に流れる境川(さかいがわ)も、かつての野洲川支流にあたります。やがて野洲川はうねりながら「北流」と「南流」の川に分岐して琵琶湖に注ぐようになりました。
人々は野洲川を制御しようと、堤防を築いて河道を固定しましたが、それは河床が上昇する天井川化をまねき、堤防が切れて大洪水が起きるようになります。この被害を食い止めようと、新たな野洲川(野洲川新川)が作られて、今見る野洲川に生まれ変わったのです。
◆おすすめポイント―公園は歴史の証人
昭和49年(1973)に着工し、昭和53年(1978)に完成した野洲川新川によって、分岐した野洲川は廃川となり、不要になった堤防や橋は次第に撤去されます。そして、水が流れなくなった河道は新たな目的のために再利用されました。「びわこ地球市民の森」も旧野洲川の活用のために造られたのです。
公園の幅に合わせて親柱が置かれていることは、公園の案内板を読むとわかります。そこには「びわこ地球市民の森は、旧野洲川南流の跡地を活用し、市民のみなさんの苗木植樹によって、次世代に引き継いでいく森づくりを進めています」と書かれています。つまり、この公園は古い河道を活用して川幅一杯に造られた公園になります。橋の親柱は、川が付け替えられたために撤去された、かつての橋の跡に置かれていたのです。
画像5は、「列系図橋」のあった場所を、昭和50年(1975)と平成20年(2008)の空中写真で比較したものです。橋の場所と親柱の位置が、ほぼ合うことに気付くと思います。
おそらく、撤去された橋を記念するために、かつて橋があった場所に親柱が置かれたのでしょう。橋の親柱は、この場所に野洲川の旧河道があったことを伝える重要な証人といえるかもしれません。
◆周辺のおすすめ情報
「びわこ地球市民の森 出会いのゾーン」の南側には、JAレーク滋賀が経営する「ファーマーズ・マーケット おうみんち」があり、農産物販売や地域食材バイキングなどが行われています。
守山市服部にある「守山市立埋蔵文化財センター」には、野洲川新川建設にともなう発掘調査でみつかった弥生時代を中心とした遺跡である「服部遺跡」の出土資料や、守山市内でみつかった遺跡の資料が展示されています。
◆アクセス
【公共交通】
・JR琵琶湖線守山駅西口より近江バス木の浜線に乗車「速野小学校前」下車。徒歩8分。
・JR湖西線堅田駅より近江バス木の浜線「速野小学校前」下車。徒歩8分。
【自家用車】
・国道8号線方面から、栗東市辻交差点を県道11号線(通称:レインボーロード:琵琶湖大橋取付道路)に曲がり約7km直進、「洲本」交差点を右折し、その先、県道今浜・水保(みずほ)線(323号)「おうみんち」を過ぎる辺りを左折し、約800m先。
(神保忠宏)