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新近江名所図会

新近江名所圖會 第391回 旅人を照らした巨大な常夜燈-旧東海道横田の渡し跡-

甲賀市湖南市

 内業勤務に異動になって丸3年。整理調査の業務そのものはもちろん好きなのですが、発掘調査の現場仕事とは違って、体力を使うことがだいぶん少なくなりました。通勤で自宅や職場から最寄り駅まで毎日自転車を漕ぐくらいでは、なまった体はなかなか戻せません。手っ取り早いウォーキングが良いのではと思いつつも、目的もなく歩くのは性分に合いません。

 ということで、休日に時間を見つけて、旧東海道や旧中山道といった現在でも残っている江戸時代の街道を、少しずつ歩くことにしました。中学生の頃は付き合ってくれていた娘も、高校生になってからは部活動で忙しく、最近はもっぱら一人で歩いています。今回紹介する横田の渡し跡(甲賀市水口町泉・湖南市三雲)は、そんな中で行き会った、旧東海道が野洲川と交差する場所に設けられた渡しの痕跡です。渡しとは、川に橋を設けずに船などで渡る場所のことで、横田の渡し跡には、今は両岸に置かれていた2基の常夜燈が残るのみです。

写真1 野洲川南岸の常夜燈(湖南市三雲)

 江戸幕府が整備した五街道の1つである東海道は、江戸日本橋から京の三条大橋までを結んでいました。近江では、ほぼ現在の国道1号に沿うような道筋で、土山・石部・草津・大津の4つの宿が置かれました。当時は横田川と呼ばれていた野洲川は、土山宿と石部宿の間を流れていますが、横田の渡しのあたりは川幅が狭いことから、渡河地点として古くから利用されていたようです。それでも、川幅は300mを超え、また杣川との合流地点で流れも激しかったことから、旅人にとっては通行の大きな障害となりました。幕府は軍事上の理由から通年の架橋は認めず、東海道十三の渡しの中でも難所として知られていました。明治24年(1891)、橋が架けられたことで横田の渡しは廃止されました。

写真2 現代の野洲川を渡る横田橋

 さて、横田の渡しの南岸(湖南市)に置かれていた常夜燈ですが、JR草津線三雲駅から野洲川に沿って上流方向の東へ5分ほど歩いたところにあります(写真1)。安永8年(1779)に建立されたもので、高さ4.85mを測ります。もともとは、200mほど上流側にあったものが現在地に移転されたようです。高さ1mほどの石垣の上に5段の基壇が乗り、その上に竿と木製の火袋が乗る構造です。竿には4面とも「常夜燈」と彫られ、基壇の最上部と2段目の正面には、それぞれ方向を示す「京」と建立した講中の名である「東講中」が彫られています。

写真3 野洲川北岸の常夜燈(甲賀市水口町泉)

 次に、北岸(甲賀市)に置かれていた常夜燈に向かいます。現在では横田橋が両市を結ぶ基幹道路として野洲川にかかっていて、歩いてもほんの数分で渡ることができます(写真2)。橋を渡って600mほど野洲川沿いを上流方向に歩くと、史跡公園として整備された北岸側(甲賀市)の常夜燈を見つけることができます。石垣の上に4段の基壇と台石が乗り、その上に竿と石製の中台・火袋・笠・宝珠などが乗る構造は、先ほどの南岸のものとほぼ同じです。竿の側面には「常夜燈」「金毘羅大権現」「文政五年六月八日建立」と彫られ、台石の側面には「萬人講中」と彫られています(写真3)。文政5年(1822)に水の神様である金毘羅権現常夜燈として建立され(写真4)、費用は東海道の宿々と多くの旅人の寄付で賄われ、基壇の側面には膨大な数の寄進者の名が彫られているそうです。

写真4 常夜燈建立にあたって勧請された金毘羅宮

おすすめポイント

 この常夜燈の特徴は、なんといってもその大きさでしょう。案内板によるとその高さは約10.5mもあるそうです。そのため基部の石垣の裾も大きく、周囲を石柵と池に囲まれていることもあって大きな存在感を示しています。これまでに見た中で大きさを感じた常夜燈には、甲賀市土山町の土山宿にある万人講常夜燈(高さ約5.5m)や、大津市石場の常夜燈(高さ約8.4m、新近江名所圖會第217回参照)がありますが、それらよりもさらに大きなものです。また、街道沿いを歩いていて常夜燈に出会うことも少なくないのですが、これほど大きなものは見たことがありません。旧東海道沿いの常夜燈の中でも類を見ない大きさだったようです。

 常夜燈は、その名の通り夜中も常に火が灯されていたのですが、当時の人々は暗い中歩かなければならないとき、遠くからも見えるこの常夜燈を目指して歩いてきたことでしょう。それに、対岸からもよく見えたはずです(写真5)。

写真5 野洲川北岸(水口町泉)から対岸の渡し場を望む

周辺のおすすめ情報

 南岸の湖南市三雲には、これまでに紹介した三雲城・八条岩(新近江名所圖会第30回参照)や大沙川隧道(新近江名所圖會第247回参照)があるほか、常夜燈のすぐ近くに天保義民之碑があります。

 北岸の甲賀市水口町泉には、横田の渡し跡から間もなくのところに旧東海道の泉一里塚跡がありますが、本来の場所とは異なるモニュメントになります。また国道1号沿いには、当協会がかつて発掘調査を行った、5世紀中ごろに築造された泉塚越古墳があります(『泉塚越古墳』平成16(2004)年3月,滋賀県教育員会・滋賀県文化財保護協会発行)。

アクセス

・甲賀市水口町泉の常夜灯

【公共交通機関】JR草津線三雲駅下車。徒歩約20分

【自家用車】名神高速道路栗東湖南ICから約30分、駐車場無し

・湖南市三雲の常夜燈

【公共交通機関】JR草津線三雲駅下車。徒歩約5分

【自家用車】名神高速道路栗東ICから約30分、駐車場無し

(小島孝修)

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