記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖會 第414回 威厳ある道切り行事―野洲市の勧請縄(かんじょうなわ)―

野洲市

 ようやく新型コロナウイルス感染症も徐々に衰えつつあると思いきや、地域によっては第10波が訪れているとの報道もあります。以前からの感染症であるインフルエンザも例年になく猛威をふるっています。コンピュータやAIの発達により様々なものがどんどん便利になっていく現代社会、日進月歩で医療技術が進んでいる医学界などに支えられているといえども、日常生活において目に見えぬ病気や病魔、自然災害に対しては、私たちの不安が解消される日は、まだまだ先のようです。

写真1 行事神社の勧請縄

 十分な医療技術や土木技術が備わっていなかった中世では、病気や自然災害に対する人々の不安は今私たちが抱いている以上に大きな恐怖であったと思います。その解決手段として人々は神や仏に祈りを捧げ、願いごとをたてることで安心を得ていたのです。これまで、このシリーズでも民俗行事の一つとして現在にも残る村境の道切り行事:「勧請縄・勧請吊り」を紹介してきました(新近江名所図会第181回第269回)。悪霊や病魔は、普段住民が通る集落へ繋がる道から侵入してくるとの思いから、神を勧請させた大縄(大注連縄(おおしめなわ))を張ることで神聖な場所(集落の中)と不浄な外界とを区別し、災いの神を追い払う行事です。同時に集落の安全や五穀豊穣を祈ることも加味されていました。

写真2 行事神社の小縄

 考古資料(松原内湖遺跡(調査員オススメの逸品第212回)・賀田山遺跡出土の勧請板)や絵巻物(『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』など)や文献(『三国伝記(さんごくでんき)』など)から、勧請縄は鎌倉・室町時代まで遡ることが明らかになっています。

 中世には全国各地で行われたと考えられていますが、現在は近畿地方を中心に限られた地域でしか、見ることができません。中でも滋賀県はその例が多く残り、県内に残る勧請縄は、2013年に西村泰郎氏が著作『勧請縄』で161例をご紹介されています。

おすすめポイント

 勧請縄の形態は、全く同じものは一つもないほど、バラエティに富んでいます。その中で、単に縄を張るだけでなく、視覚的にも物理的にもまさに外から侵入を遮断している野洲市行畑(ゆきはた)の行事(ぎょうじ)神社の例を紹介したいと思います。縄の中央に長い割竹を格子状にした組みもの(真ん中に〇、写真1)をあしらい、その両サイドに小縄と呼ばれる縄を12本(年間の月数、今年は潤年なので13本)吊り下げています(写真2)。小縄はカシの枝束を結んだ長い縄4本にカシの枝を串刺し状になっています。

写真3 行事神社の参道に張られた威厳を感じさせる勧請縄

 鳥居の内側の参道に張られた勧請繩は、写真3のとおり、まさに外からの侵入を防ぐように大繩をたるませ、小縄を長く吊り下げています。堂々としていて厳かな雰囲気:威厳を感じさせます。

写真4 新川神社 参道を遮る勧請縄

 また、隣接する野洲市野洲の新川(にいかわ)神社の例も地面に擦れるほど長く、17本の小縄と大きな〇と十字を組み合わせた4つの的のようなもので構成されています。大繩の上には13本の御幣が突き刺されています(写真4・5)。

写真5 新川神社の勧請縄:丸と十字の組み物の部分

 勧請縄は中世から引き継がれる民俗行事ですが、その根源は地元の方々が行事を後世に永く伝えていこうという努力の上に成り立っています。年末に必要な藁(もち米の稲藁)、カシや榊(さかき)の枝葉を確保し、年始に一気に勧請縄の製作に取り掛かります。その製作技術は記された記録があるわけではありませんから、口伝や伝承による直接の指導の下、継承されています。

 一方で必要な藁や枝葉の確保が難しくなったり、行事の担い手が高齢化し、住民の減少などにより行事を引き継いでいくことが難しくなっている現状があります。西村氏が紹介された時点でも、本来の勧請縄の形態から簡略化されたり、吊り下げる場所が少なくなっている例が見受けられます。この傾向はますます、進んでいくものと危惧されます。

 私自身も地元の御霊(ごりょう)神社(大津市)の神縄祭(かんじょうさい)に参加しており、このような危機感をひしひしと感じています。地域に根差した伝統行事が少しでも長く引き継がれていくことを願ってやみません。西村氏が紹介された以外にもまだ残されている勧請縄があります(私も2件ほど見つけました)。皆さんの身近にも残っていないか、探してみてはいかがでしょうか。基本、勧請縄は1年間吊り下げられたままの例が多いのですが、この1月・2月が勧請縄の旬と言えます。

 (吉田秀則)

周辺のおすすめ情報

 JR野洲駅北口から徒歩10分の所に円光寺があり、境内には古墳もあります(新近江名所圖會第379回参照)。

アクセス

【公共交通】

 JR琵琶湖線野洲駅南口から行事神社まで旧中山道を経由して徒歩11分、そこから行事神社の参道を抜けて新川神社まで11分です。行事神社、新川神社ともに駐車場がありませんので、自家用車の場合は野洲駅前のコインパーキングを利用されるのがよいと思います。

【参考】

○行事神社:社伝によると神亀(じんき)元年(724年)御上(みかみ)神社の神託をうけた三上宿禰海部廣国が勧請したことに始まる。「三上別宮」とも称され、中畑、行合(行畑)の二ケ村の総鎮守と崇められてきている。

○新川神社:社伝によると朱鳥(あけみとり)元年(686年)と伝えられ、天武天皇が大友皇子と野洲川を隔てて皇位を争われた際、勝利祈願をされ成就し即位されたことから、そのお礼として創建されたとされる。度々、野洲川の氾濫により境内や社殿が被害を受けてきたが、その度に再建されてきた。

Page Top