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調査員オススメの逸品 第162回 描かれた神威―琵琶湖文化館蔵「山法師強訴図」

大津市
写真1 山法師強訴図(琵琶湖文化館蔵)
写真1 山法師強訴図(琵琶湖文化館蔵)
写真2 山法師強訴図(部分)
写真2 山法師強訴図(部分)

最近、このコーナーでも紹介のあった保延3年(1137)の年記をもつ日本最古の起請文、長浜市塩津港遺跡出土の52号木簡には、誓約する神の名が天部の神から日本の八百万の神まで列記されているとの説明があったと思います(第159回)。
そのなかには「当国鎮守山王七社」という記載もあり、当時、山王七社(現在の日吉大社)が近江の守護神であったことをうかがわせます。
そもそも山王とは、中国天台山において祀られた神仙に由来するもので、日本天台宗の宗祖・最澄が入唐求法より帰国後、それにならって従前の比叡山の神々を山王と称したことが始まりとされています。以後、天台宗の護法神として展開し、当宗の隆盛とともに祀られる神も増加していきます。このように山王七社は天台宗の護法神であり、また近江の守護神でもあったわけです。
そして、上記の木簡が製作された時期と同じくして、これらの山王の神々に依った「山門強訴(ごうそ)」という現象が頻発します。山門強訴とは、延暦寺の僧侶や日吉社の神人たちが自らの拠り所とする山王の神々の神輿(しんよ)を都に動座するなどしてその神威を誇示し、朝廷や院に対して自らの訴えや要求を突きつける行為のことです。もし、その訴えや要求を拒否したり、また動座を邪魔するなどした場合は、神罰、仏罰がくだるものとして大変恐れられました。そのため、当時の朝廷や公家の人々は直接対峙することを避け、強訴の現場に武士を投入しました。
今回ご紹介する作品は、この山門強訴を題材とした「山法師強訴図」(江戸時代・紙本著色・屏風装)です(写真1・2)。
本来、この屏風は一双(2つで1セット)を為すもので、もう一方は延暦寺が所蔵しています。延暦寺本には比叡山を京都方面へ下り、賀茂川を越えて入洛する神輿2基とそれを担ぎ、囲う武装した大衆たちが描かれています。
本品(琵琶湖文化館本)はその続きで、向かって右側から武装した大衆たちが神輿を奉じ、門前を警護する武士たちと向かい合う緊迫した場面が描かれています。
奈良の興福寺では春日大社の神木を動座して強訴を行うなど、多くの大寺院が自らの要求を訴えるための闘争手段として、また神仏習合の思想に基づく行動として、強訴は頻繁に行われました。
この六曲一隻の屏風を前にすると、あたかも強訴の現場に立ち会ったかのような感覚を与えてくれます。
また、強訴をテーマとした現存する大型の絵画作品は決して多くなく、そうした意味でも貴重なものとなっています。
(渡邊勇祐)

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