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調査員のおすすめの逸品 №302 冷や汗”は極上のスパイス!? 終了間際に顔を出した巨大な遺物 ―草津市黒土遺跡出土の刳り抜き井戸―

草津市
写真1 井戸の掘りはじめの様子
写真1 井戸の掘りはじめの様子

わたしたちが発掘調査を行う際に、いつもに頭に入れておかなければならないことがあります。それは、発掘調査の期間です。あらかじめ計画された期間の中で、できうる限りの記録をとることにより、その遺跡の在りし姿を正しく後世に伝えることこそが、わたしたちが発掘調査を行う上でもっとも大切なことなのです。
しかし、発掘調査とは予期せぬことの連続です。梅雨の雨が長く続く年もあれば、大雪によりしばらく調査ができない年もあります。近年では、夏のあまりの暑さに思うように調査が進まないこともあったりします。そういった不測の事態を常に考えながら作業ペースを管理していくのは、本当に難しいことだと日々感じながら仕事に励んでいます。
そして、予期できないのは天候だけではありません。調査の中で思いもよらないものが発見されることも多々あります。それが、時間的に余裕のあるときであればうれしいものですが、ゴールが見えつつあるタイミングで見つかると、うれしさよりも冷や汗のほうが勝ってしまいます。今回紹介する草津市の黒土遺跡で遺跡で発見した丸太刳り抜き井戸も、まさに調査が終盤に向かっている、そんなタイミングで発見されたものでした。

写真2 みつかった井戸側(井筒)
写真2 みつかった井戸側(井筒)

黒土遺跡は、草津市南笠に所在する遺跡で、調査では主に古代から中世にかけての集落が発見されており、わたしが担当していた調査区でも、中世の遺構や遺物が見つかっていました。その中に、直径3mほどのひときわ大きな円形の土坑がありました。掘り進めると、鎌倉時代から室町時代を中心とした陶磁器などの土器類がたくさん出土したことから、中世のごみ捨て場かもしれないな~と、軽い気持ちで掘削を進めていました。しかし、掘れども掘れども底がみえる気配がありません。やっとのことで地表から2mほど掘削したそのとき、方形に組まれた板材がひょっこりと顔を出したのです。
「あ!これはやばいヤツだ!」わたしの直感がそう告げました。迫りくる調査終了の刻限、もしこれの遺存状態がよければ記録にどれだけの時間がかかるか…。そもそも、これをすべて露出させるのにどれだけ掘り下げなければならないのか?流れ出る冷や汗を必死に抑えながら慎重に木材を露出させていくと、方形に組まれた板材の内部には、さらに円筒状の材が見つかり、これらは合わせて井戸側(井筒)であるということが判明したのです。方形の板組みの残存状態はあまりよくありませんでしたが、内部の円筒状の材はほぼ完全な状態で残っていました。

写真3 丸太を切り抜いた井戸側(井筒)
写真3 丸太を切り抜いた井戸側(井筒)

この材は、丸太を縦に半分に割り、それぞれの内部を刳り抜いたのちに、ふたつ合わせて円筒状にしたもので、直径0.8m、高さは1.6mを測り、人の大きさとそう変わらない巨大な遺物でした。さらには、外面も手斧などの道具により削って加工された痕が明瞭に残っていました。丸太を刳り抜いた形の井戸は、古代以前に使用されていたもので、中世には使用されることはないと考えられています。だとすれば、今回見つかった井戸枠は、古代以前に使用されていたものをこの時代に改めて転用した可能性などが想定されます。
作業員さん達からは「すごいものが出たな!」「こんなもの、はじめてみるわ~!」と歓声があがる一方で、わたしはひとりヤケクソになっていました。だってこうなったら、腹をくくってとことんまでやるしかありませんから。

写真4 人の背丈ほどの井戸側
写真4 人の背丈ほどの井戸側

そこから先は、パワー自慢、手先の器用な補助員さん、作業員さんに助けられ、底から湧きあがる水に苦心しながらも、わたし自身も満足できる記録を残すことができました。ひとつの遺構で、あれほどシャッターを切ったことはこれまでになかったかもしれません。そして、あの井戸側が取り上がったときの感動は今も忘れることはできません。
ときに発掘調査では、めずらしい遺物に多くの人たちの懸命な努力、そして“冷や汗”というちょっと刺激の強いスパイスを加えることによって、極上の感動を味わうことができるのです。多くの先達たちがこの世界にどっぷり浸かっていったのも、そんな甘美でビターな体験が忘れられなかったからなのかもしれません。
いつの日か、遺跡の“記録”だけではなく、調査の“記憶”さえも伝えていけるような、そんな調査の方法が思いつければどんなに素晴らしいことでしょうか。(木下義信)

※写真:草津市教育委員会提供

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