記事を探す

オススメの逸品

調査員オススメの逸品 第191回 『料理山海郷』-米原町筑摩由来の料理レシピー

米原市

JR米原駅から琵琶湖岸に出ると「朝妻筑摩」という地名に出逢います。2つの集落が並んでおり、朝妻は江戸時代の画家英一蝶(はなぶさいっちょう)の名作『朝妻船』で知られ、筑摩は毎年5月3日に行われる筑摩神社の祭礼「鍋冠祭(なべかんむりまつり)」で知られます。
この筑摩にはゆかりのレシピ(調理法)、『料理山海郷』という書物に記された「筑摩(間)玉子」が存在します。料理のレシピは料理人秘伝のものもあるようですが、現代では“クックパッド”など、インターネット上で容易に目にすることができます。しかしレシピ、調理法が文字に記されて本格的に社会に紹介されたのは江戸時代以降のことで、料理の内容が豊かになってきたのもこの頃です。
戦に明け暮れた戦国時代が終わり、世の中が太平になった江戸時代初頭には、全国の名産を記した俳諧書『毛吹草』のような書物が出始めました。その後17世紀に入り、材料、調理法、献立などを体系的に記した書物や、全国の動植物を調査した“産物帳”も記されます。17世紀の後半、元禄の頃には材料や調理法を網羅的に記した百科事典のような料理本が出るようになり、また茶の湯が町人に浸透していくなかで、茶の湯の立場から料理が論じられるようになります。18世紀に入ると、さらに盛り付け、香り、器にも言及するようになります。こうした中で18世紀中頃に『料理山海郷』が刊行されました。以後、食が文化としていっそう浸透していきます。そして、18世紀後半になり料理屋が登場しはじめ、さらにさまざまな意匠を凝らした料理本が出回って、ようやく食文化が庶民に身近な存在となったのです。

DSC_0040
鍋冠祭

さて、冒頭の「筑摩(間)玉子」のレシピを記した『料理山海郷』についてもう少し詳しくみておきましょう。この書物は江戸時代中頃の寛延三年(1750年)、博望子によって記された料理本で、200余の料理が掲載されています。18世紀後半には代表的な料理本として認識されていました。書名の「山海郷」は古代中国の地理書『山海経』にかけたものといわれており、日本全国各地に加え、異国の美味をも一堂に集める意図でつくられました。この本では“見立て”によって料理に地名や雅名をつけているのが特徴的です。
「筑摩(間)玉子」は、当時広く知られていた「玉子ふはふは」を鍋に仕かけただけのものですが、“遊び”心をもって特別な一品にしています。ちなみに「玉子ふはふは」については東海道の宿場町・袋井宿で供されていたことから、現在は、静岡県袋井市でご当地グルメとして復元されています。
レシピには、「玉子ふはふはをちいさきなべにて仕懸人数ほどに盛切て鍋は引もりかへは又々小鍋にて以前の通仕かけて出る也 なべのかすみるとて名付るなり」(玉子のふわふわを小さい鍋にかけ、人数に盛り切りして、鍋を引く。盛りかえは、また小鍋で同じように仕かけて出す。筑摩鍋の数をみるといって、この名がついた。)と紹介されています。なぜ“鍋の数”と“筑摩”と“玉子ふはふは”が結びつくのか。それには冒頭で紹介した筑摩神社の祭礼「鍋冠祭」を知っておく必要があります。
鍋冠祭」は “日本三奇祭”のひとつとして知られており、米原市無形民俗文化財に指定されています。祭りは、狩衣(かりぎぬ)姿に黒い張子の鍋を冠った8歳前後の女児が、200人ほどの行列とともにお旅所から筑摩神社まで練り歩きますが、江戸時代以前は妙齢の女性が主役であったようです。女性が鍋を冠るという所作については諸説ありますが、筑摩神社の祭神が食物の神であったことや、当地近くにあった筑摩御厨(みくりや)から神前に作物、魚介類などを供えるとともに、特産であった近江鍋といわれる土鍋を罪のあがないとして出した(贖物・あがもの)のが祭りの古い姿ともされます。『後拾遺和歌集』には「御あがもののなべをもちてはべりけるを、おおばんどころより人のこひはべりければ、つかはすとてなべにかきつけはべりける」として「おぼつかな つくまのかみのためばらば いくつかなべの かずはいるべき」(藤原顕綱)と記されています。また、関係した男性の数の鍋を被ったともいわれ、『伊勢物語』には「近江なる筑摩の祭とくせなん つれなき人の鍋の数見む」とあります。

鍋冠祭図(滋賀県立琵琶湖文化館蔵)

本の書かれた江戸時代には「鍋の数」といえば「筑摩の祭り」として文化人に知られていました。それで、「筑摩(間)玉子」としたわけです。このように、『料理山海郷』では、見立という“遊び”心で編集されているのが特徴です。
私がこの本に出逢ったのは、近江の名産「醒井餅」(調査員のオススメの逸品第103回)の包み紙に興味を持ったことがきっかけでした。本の中に「筑摩(間)玉子」という、身近な地名を冠した風変わりなものがあり、心に残るものとなりました。このレシピが語るように、江戸時代の料理本『料理山海郷』は、単に料理の作り方を記しただけでなく、料理を文化に押し上げる役割を果たした逸品といえます。(中川 治美)

《参考文献》
吉井始子(1978)『江戸時代料理本集成 料理山海郷』 臨川書店

Page Top