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調査員のおすすめの逸品№365 これなんか違和感のある土器―松菊里式系土器―

高島市

 調査をしていると多くの土器や石器などの遺物に触れる機会があります。時代ごとに形や大きさに特徴があり、日々の仕事の中で、これは縄文時代前期前葉の深鉢、これは古墳時代前期末の壺とか鑑識眼を養っています。こうした鑑識眼を養う中で、異質なものに出会うことがあります。その多くは他地域から運ばれて来たり、他地域の影響を受けたものであったりすることがあります。このような他地域の特徴をもつものは、比較的強い違和感を受け、発掘調査報告書や専門書を調べてその素性を調べて、そのものの時代や地域を特定します。

 こうした強い違和感ではなく、何となくあまり見ないなぁ、でもこんなものはあっても良いかと思うものがあります。

写真1 針江浜遺跡報告書の69番(松菊里式土器)

 ある時、高島市の針江浜遺跡の報告書に担当者のそんな違和感が感じ取られる土器の記載がありました。その土器は弥生時代前期後半の土器に混じって出土していました。土器の色調や素材の粘土等は他の土器と一緒ですが、形が少し他の土器とは違います。報告書には「69は、外傾斜の少ない体部上端〈中略〉形態的には夜臼(ゆうす)式(※)の浅鉢に近い印象もあるが、ここは太頸あるいは無頸壺形土器とする。」とあり、針江浜遺跡の土器より数百年前の九州地方の弥生時代早期の土器に似ているが、弥生土器の中の知識でも理解できるというような感じにとれます。

写真2 針江浜遺跡の弥生時代前期の壺と松菊里式系土器

 この土器はおそらく「松菊里(しょうきくり)式系」あるいは「松菊里型土器」に該当すると考えられます。針江浜遺跡の土器は、韓国の松菊里遺跡で出土した土器を指標とした朝鮮半島の土器に形は似るが、他の弥生土器と一緒の粘土を用い、色調や焼きの硬さなども変わらないことから、半島の土器がこちらに来たというよりは、半島の土器の情報や記憶の伝承を持っている人が、針江浜遺跡に来て製作したのではないかと考えられます。

写真3 湖西北部の遺跡出土土器

 針江浜遺跡の土器のように弥生時代前期から中期の初めにはこのような土器が若干見られます。こうした土器は無頸壺と報告されますが、弥生時代中期にみられる典型的な無頸壺は頸にあたる部分が全くないのに対して、こうした土器は、口縁部が小さく外反することが特徴的で違いがあります。これらの土器がすべて「松菊里式系」土器にあたるかはもう少し検討が必要ですが、弥生時代前期後半から中期初頭に多く認められる点については留意が必要です。

写真4 松菊里式土器

 近畿地方で弥生時代前期の人骨はあまり多く見つかっていませんが、見つかった中で最も古い弥生時代の人骨は縄文人的な様相が認められるのに対して、近畿地方の弥生時代前・中期の人骨には渡来人的な様相が認められるということと関係があるかもしれません。これらの点については、今後の研究で明らかになっていくと考えられます。

※夜臼式土器:九州地方の縄文晩期末の突帯文土器。福岡県新宮町夜臼遺跡が標識遺跡。板付遺跡で夜臼式と水田跡・炭化米・木製農具が共伴し、弥生時代早期とされるようになった。

<参考文献>兵庫県教育委員会1995『東武庫遺跡』

県教委・県協会2014『琵琶湖西北部の湖底・湖岸遺跡 第1分冊本文編・第2分冊図版編』

(中村健二)

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