新近江名所図会
新近江名所圖會 第408回 俵藤太ゆかりの地に植わる―華階寺のイチョウ―
JR大津駅前から湖岸へ向かって30m道路を下って行くと、中央分離帯に南北に二株の大きなイチョウの樹が並んでいます。ともに雌株で、大きさは北側の樹が、目通り(※1)周囲約3.5m、南の樹が約3.3mを測り、樹高は30mを超えていたようですが、台風により折損しています。現在の樹高は北樹20m、南樹13mほどになっています。このイチョウ二株が植わっている場所は旧華階寺境内にあたり、天文(てんぶん)元年(1532)、華階寺の開基にあたって植えられたと伝えられ、いずれも樹齢400年を越えるとされる巨木です。湖上交通の盛んであった頃は良い目標となっていたであろうといわれています。大津市指定文化財(昭和50年1月4日指定)。
◆おすすめPoint
ここのイチョウたちは、折れた枝ぶりは少々痛々しく、葉の茂り方もあまり密ではありませんが、ほかの街路樹にくらべて格段に堂々とした姿をしています。いまは中央分離帯に押し込められた感がありますが、かつては、これらの樹よりも高い建物はほとんどなく、湖岸近くの湿地が迫っていたかもしれません。植えてすぐはともかく、イチョウは成長が早いので、100年もすればかなり樹高は高くなり、湖上からの目印になったかもしれません。(巻頭写真)
現状、4車線道路の中央分離帯にあることから、横断歩道のど真ん中で立ち止まって分離帯の中に長時間いるのも少々気が引けるので、しばらく解説板を見るふりをしながら観察をし、信号が青の時に道路を渡り切り、少し離れた場所から眺めています。イチョウは排気ガスにも強いらしく、道路工事の影響で樹勢が衰えたとはいえ、たくましくこの環境下でも生き続けてほしいです。
華階寺は大津市京町3丁目にある浄土宗の寺で、旭高山幻中院と号し、1532年(天文元年)僧西念(さいねん)(専蓮社称誉、萬休とも号する)が、藤原秀郷館の旧地とつたえられる地に建立したものと伝えられます(写真1)。
◎矢の根地蔵と月見石
華階寺がある場所は、寺創建よりはるか以前の平安時代、三上山のムカデ退治で有名な藤原秀郷(ひでさと)(俵藤太)(たわらのとうた)の館があったといわれることから、秀郷にまつわる矢の根地蔵と月見石が残されています。ムカデを射止めた大矢の根(鏃(やじり))で、大きな石に地蔵菩薩の尊像を刻み末永く悪魔退散の守護として奉祀しました。その後、明治維新に際し、四宮に祀られていた矢の根地蔵を秀郷の旧館地の由緒によって華階寺に奉安しました。また、同寺境内には秀郷の月見の石と伝えられる大石もあるそうです(原則非公開。見学希望の際は事前に電話で要予約)。 また、「華階寺伝記」よれば秀郷没後、館は荒廃し、館跡地は湖岸に接していたため低湿地で葭(よし)が群生し、わずかに二、三軒の漁師が住むのみであったといいます。「葭原町」の名もそうした地勢に由来しているそうです(写真2)。
◆周辺のおすすめ情報
このイチョウのある場所は、旧東海道との交差点に近いところにあります。ここから、旧東海道を少し西に進むと、創業宝暦年間(1751~1763)の御饅頭處餅兵(もちひょう)が、昔からの看板を継承しています。ここは京都でいうところの「おまんや」という分類に入る和菓子屋で、お茶席に使う主菓子や干菓子などはなく、四季や行事に因んだ生菓子、大福餅やまんじゅう、赤飯などを扱います。現在の店主はいろんな新作の和菓子をつぎつぎに出したり、店に伝わる古くからの「兵祐餅(ひょうすけもち)」を復刻させたりと熱心にやっておられます(現在は兵祐餅は休止中)。
つい、おいしそうなお菓子に目を奪われてしまいますが、お店の中も外も見どころが満載です。現在店頭に掲げられた看板は明治期のもので、2018年の新装開店の際、金箔を置きなおしたとのことで、美しく輝いています。店内には創業当時からの欅の一枚板の看板や江戸期と明治期に使用していた行器(ほかい)も置かれ、お店の歴史の古さを感じさせてくれます(写真4)。
※1:目通り:木の大きさを測る際に基準の高さとして目の高さで径や周長を測ること。地方によって1.52mとするところや1.82mとするところなどの違いはあるが、一般的には1.2mの高さを指す。アメリカやカナダでは1.37m、ヨーロッパでは1.3m、イギリスでは1.29mを目通りと定めている。
※2:行器(ほかい):行事や祝い事の際、赤飯やまんじゅうを詰めて運ぶのに使った容器。名称の「ほかい」は「ほかう」(祝う)の名詞形で、元来は神仏に食物を捧げる行為を意味し、神饌(神への供え物)を盛り付ける器だった。
◆アクセス
【公共交通】・JR大津駅から徒歩5分
【自家用車】駐車場なし。
(小竹志織)