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調査員のおすすめの逸品№366 見つかった時の感動が…―栗東市高野遺跡の海獣葡萄鏡―

栗東市

 以前、このコーナーで大津市の東光寺遺跡で出土した小型海獣葡萄鏡(こがたかいじゅうぶどうきょう)について紹介しました(逸品No.330)。今回は自分自身が関わった調査で出土した小型海獣葡萄鏡を紹介します。

写真1 出土した溝跡

 高野遺跡は栗東市高野・六地蔵ほかに所在する縄文時代から近代にかけての集落遺跡です。平成30年度から令和4年度まで調査を実施していました。令和2年度には奈良時代後期から平安時代にかけて機能していた古代東海道が見つかっています。

写真2 鏡の出土状況

 さて、本題の小型海獣葡萄鏡は、令和元年度調査で出土しました。高野遺跡の調査担当になってから2ヵ月が過ぎようとしていたの令和2年1月末のことで、世間では新型コロナウィルスが流行し始めたころでした。その調査区は東西に細長い調査区で、川跡や溝跡を中心とした遺構が見つかっていました(写真1)。鏡が見つかった溝跡も土器の出土量はそれほど多くありませんでした。そのような中でぽつんと鏡が見つかりました(写真2)。

写真3 取り上げ後

 海獣葡萄鏡は飛鳥時代から奈良時代にかけて生産がされ、全国で40例ほど、北は山形県、南は鹿児島県でも見つかっています。藤原宮や平城京を中心に溝や川などの水に関わる遺構から出土すること、また、斎串(いぐし)やミニチュア土器などの祭祀に関わる遺物と一緒に見つかることが多いことから、水辺の祭祀で使われたと考えられています。高野遺跡のものも溝跡からの出土ですので、同じ様に祭祀に使われたとみられますが、ただし、同じ溝跡からは祭祀に関わるような遺物は出土していないので、詳細は分かりません。この鏡は都で作られたと考えられているので、高野遺跡の近傍では国衙や郡衙などの公的機関、ひいては都に繋がりのあるような人々が暮らしていたとも考えられます。

 「海獣葡萄鏡」の名の通り、空想上の生物である海獣とブドウがメインのモチーフになり、他にツタや小鳥などが描かれています。でも、実物を見てもどこが海獣やブドウやねんってなりそうなくらい、簡略化されています。これは、元々あった海獣葡萄鏡を転写して製作されたもので、転写を繰り返していった結果、どんどん文様があやふやになっていきました。そのため、小型海獣葡萄鏡は文様よりも「丸い青銅製の円盤」であることが大事だったと考えられています(写真3)。

写真4 保存処理後

 出土した段階で錆がかなり進行しており、全体的に腐食も進んでいました。取り上げも怖いような状況だったので、土ごと取り上げをしました(一緒に調査をしていた調査員のUさんが取り上げてくれました)。取り上げ後すぐに土ごとタッパーに入れて滋賀県埋蔵文化財センターに運搬し、翌令和2年度に保存処理を行い(写真4)、保存処理後の令和3年8月に周囲の助力を得ながら「奈良時代の小型海獣葡萄鏡の発見」と記者発表をしています。

図1 実測図

 実は鏡が見つかった当日はたまたま私は不在の日で、見つかった次の日の朝に「こんなの出たよ」と伝えられたため、見つかったその瞬間には立ち会えませんでした。そのため記者発表などの際は当事者であるにもかかわらず、やや複雑な気持ちになる遺物です。

(福井知樹)

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