記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖会 第321回 戦国時代の神社建築-草津市新宮神社

草津市
本殿
写真1 本殿

南草津駅東側に位置する草津市野路一帯は旧東海道がその中心部を通り、平安時代後期から鎌倉時代にかけて「野路宿」が置かれた交通の要衝の一つでした。野路の名は『玉葉』や『十六夜日記』といった古記録などにも見られ、「萩の玉川(野路の玉川)」の所在地としても知られ、数多くの和歌に詠まれました。
現在では南草津駅周辺を中心に開発が進み、かつての景観から大きく様変わりをしましたが、その面影をしのぶことができるスポットとして新宮神社を紹介したいと思います。
南草津駅から南東へ進み、国道1号を通過すると旧東海道に至ります。ここから旧東海道を北東へ進んでいくと、新宮神社が見えてきます。この神社は天平2年(730)、行基がこの地に野路寺を開いた際、その鎮守として祀られたとされています。祭神は事解男命(コトサカオノミコト)・速玉男命(ハヤタマオノミコト)で、宝亀2年(771)に本殿が建立され、後述するように戦国時代に再建されました。江戸時代には膳所藩本多家領となり、歴代藩主によって神領の安堵、社殿の修理が行われています。

◆おすすめポイント
【ポイント1】
新宮神社の最大の見どころは本殿です(写真1)。現在の本殿は棟札や棟木によると大永3年(1523)に建立されたことがわかります。この建立年代についてですが、歴史上の人物で言うならば、大永元年(1521)に武田信玄が、大永2年(1522)には柴田勝家が生まれています。まさに戦国真っ只中であり、どのような時代のものかイメージしていただきやすいのではないでしょうか。

門(膳所城の水門か)
写真2  門

この建物は寛文11年(1671)の大修理によって、軒正面に唐破風(からはふ)が付けられるなど大きく改造されたようですが、その後も屋根の葺き替え等、数度の修理を経て、戦国時代の神社建築が現代にまで守り伝えられています。建築様式は神社建築に多く見られる一間社流造(いっけんしゃながれづくり)と呼ばれるものですが、軒正面に唐破風が付く形態が珍しく国の重要文化財に指定されています。桐や牡丹、波と雲があしらわれた蟇股(かえるまた)の彫刻も非常に優美な一品です。

【ポイント2】
新宮神社のもう一つの見どころとして、境内の北端にひっそりと佇む門があります(写真2)。この門は膳所城にあった水門が廃城後に移築されたものと伝わっています。屋根瓦に注目すると本多家家紋の立葵紋をあしらった軒丸瓦(写真3)を確認でき、膳所城からの移築を裏付けています。残念ながら、膳所城内のどの位置にあったかについては明らかになっていませんが、当協会が以前、発掘調査を行った膳所城北の丸南端には水門があったことがわかっており、そこから移築された可能性も考えられます。
戦国時代の神社建築だけではなく、江戸時代前期の城郭建築も併せて見学できる新宮神社。戦国時代好きで、城郭にも興味がある筆者にとっては非常にありがたい神社でした。見学も兼ねてぜひ一度お参りされてはいかがでしょうか。

本多家の家紋
写真3 本多家の家紋

◆周辺のおすすめ情報
新宮神社は旧東海道沿いにありますが、旧東海道沿いには名所圖会でも紹介した見所が複数あります。
旧東海道を散策しながら、それらを巡ってみてはいかがでしょうか。
萩の玉川
一里塚
野路小野山製鉄遺跡
草津宿

◆アクセス
【公共交通機関】JR南草津駅下車、徒歩15分
【自家用車】名神高速道路草津田上IC下車、35分
(山口誠司)

・滋賀県草津市野路町

《参考文献》
滋賀県教育委員会 1987 『重要文化財 新宮神社本殿修理工事報告書』

Page Top