新近江名所図会
新近江名所圖會 第252回 遺跡めぐりの強いミカタ -遺跡説明板その2 草津・栗東編
遺跡説明板を紹介する第2弾として、前回の近江国庁編に続き、草津市と栗東市に所在する3カ所の遺跡に設置されたものを取り上げたいと思います。近江国庁跡は遺跡自体が発掘調査の成果をもとに整備され、ごく一部ですが建物も復原されており、視覚的にも遺跡を実感することができます。しかし、今回紹介する遺跡はいずれもこのように整備されたものでなく、現在はただ説明板があるのみで、この説明板をみてはじめて、ここにこんな遺跡があったのかと知ることができます。
まず1つ目の遺跡説明板は、草津市の野路小野山遺跡のものです。野路小野山遺跡は、国家や近江国が直接管理したと考えられる奈良時代の製鉄遺跡で、周辺の製鉄遺跡などとともに「瀬田丘陵生産遺跡群」として国史跡に指定されています。説明板が設置されているのは、京滋バイパス「野路中央」交差点近くの歩道際です。
京滋バイパスは日中には、車道をかなりの数の自動車が走っていますが、信号待ちで止まっていたとしても、場所的に車内からこの説明板を見つけることはまずないでしょう。また、歩道を通行する人はまれであるため、存在を知っている人もそう多くはないでしょう。
私も20数年前にこの付近に3年ほど住んでおり、その時コンビニに買い物へ行くためにたまたまここを通った時にみつけました。そのようなことがなかったら今でもこの説明板の存在を知らなかったことでしょう。
野路小野山遺跡の説明板は、鉄製の2本の支柱の間に金属板を挟んだオーソドックスなタイプで、説明文・発掘当時の写真・簡単な平面図から構成されています。草津市教育委員会によって設置されたものです。
野路小野山遺跡から京滋バイパスを少し北上したところには、奈良時代から平安時代にかけての官衙風色彩の強い遺跡である矢倉口遺跡が存在します。東矢倉南交差点と東矢倉北交差点間あたりとなります。説明板は、京滋バイパス歩道沿いの民地内に設置されています。ここの説明文は石板に刻まれており、発掘調査の契機となった事業主さんによってここに設置されたことがわかります。これを建立した方の心意気を感じる説明板です。
この説明板も道路際とはいえ、自動車は多いけれど歩行者は少ない場所にあるため、一般には見つけにくいものとなっています。私も仕事帰りに渋滞に巻き込まれ、たまたまこの横で止まった時にふと目にしたのがこれを見つけたきっかけです。
矢倉口遺跡からさらに京滋バイパス・国道1号を北上すると栗東市に入ります。この国道沿いにも1つの説明板があります。上鈎遺跡の説明板です。遺跡名を彫った石製の方柱と説明文のある石板があります。ここのものも矢倉口遺跡のものと同じく民地内に設置されており、建立したのは栗東ライオンズクラブのようです。
遺跡の説明板の多くは教育委員会によって設置されたものですが、中には矢倉口遺跡や上鈎遺跡のもののように事業主や団体によって設置されたものもみられます。教育委員会が設置するものは、おもに金属板でできており、説明文だけでなく写真や図も付けています。遺跡見学の人やたまたま目にした人に対して、その遺跡の内容を知ってもらうということが第1の目的となります。一方、事業主さんなどが設置したものは石板に説明文を彫ったものがあり、契機となって発掘した遺跡を広く皆さんに知っていただくという目的もさることながら、矢倉口遺跡の説明板にもあるように一種の記念碑でもあるのでしょう。
今回紹介した説明板は、どれも普段気づきにくい場所に設置されています。歩行者が少ない幹線道路沿いにあるため仕方のないことかもしれません。また、遺跡が見学できるように整備されているわけでもなく、古墳や城跡などと違いわざわざ訪れる人もそうそういないでしょう。このような遺跡の説明板は探してみるとけっこうあるものです。探し当てて巡ってみるのもけっこうマニアック的で面白いかもしれません。ちなみに高島市にある弘川遺跡の説明板もなかなかの場所にあります。あえて設置場所はここでは教えません。興味のある方は探し当ててみて下さい。ヒントは国道161号です。
アクセス
野路小野山遺跡
矢倉口遺跡
上鈎遺跡