新近江名所図会
新近江名所圖會 第279回 旧逢坂山隧道東口に残る上水道遺構~南部水道 大津市
新近江名所図会第15回で紹介された、旧逢坂山隧道東口のトンネルポータルhttps://www.shiga-bunkazai.jp/shigabun-shinbun/best-place-in-shiga/%e6%96%b0%e8%bf%91%e6%b1%9f%e5%90%8d%e6%89%80%e5%9c%96%e4%bc%9a%e3%80%80%e7%ac%ac15%e5%9b%9e/は、日本人技術者のみで造られた重要な産業遺産として鉄道記念物に指定されています。ところが、その片隅に大津市の水道史上において貴重な遺構が残されていることは、あまり知られていません。
今回は大津市の水道遺構である「南部水道」を紹介します。意外に思われるかもしれませんが、かつての宿場町「大津百町」は良好な飲料水を得ることが至難な場所でした。特に大津百町西部における水不足は著しく、数少ない水源から竹の節を抜いた竹管を使用して、飲料水を供給していました。江戸時代中期には、水道料にあたる「水銭」を徴収して維持管理を行っていました。
明治時代においても江戸時代の施設を使用していましたが、琵琶湖疏水工事(明治18~22年)や東海道本線付け替え工事(大正3~10年)などで旧来の水道が破壊され、飲料水の供給が困難になる地域が続出すると、その都度上水道を建設して対応していました。南部水道もそのような施設のひとつにあたります。
南部水道は、大正3年からはじまった東海道本線付け替え工事によって枯渇した旧来の上水道の補償として、鉄道省が旧逢坂山隧道の噴水井戸を水源として建設した上水道です。大正9年頃に噴水井戸が涸れ始めたので、旧逢坂山隧道の脇を流れる吾妻川を新たな水源にして機能を強化しました。大正10年8月に鉄道省から大津市へ引き継ぎが行われ、大津市が管理する上水道施設となりました。現在では、旧逢坂山隧道の真下にある大谷加圧ポンプ場から南部地域に水道が供給されています(写真1参照)。
それでは、現地に残る遺構を探してみましょう。逢坂山隧道東口は、京都大学防災研究所附属地震予知研究センター逢坂山観測所として再利用されています。トンネルポータルの脇に観測所の建物がありますが、その下部にコンクリートで作られた枡が残っています(写真2と3)。これが貯水池と考えられる遺構です。
この施設は、昭和21年に米軍が撮影した空中写真(図1)にうつされており、昭和41年ごろに編集された大津市三千分一地形図(図2)にも、「南部浄水場」と記されています。このことからコンクリートの施設は南部水道の遺構と考えてよいでしょう。
また、地震観測所施設の脇に木造モルタル壁と思われる六角形の建物が残されています(写真4)。もしかしたらこの建物も南部水道に関わる施設かもしれませんが、建物に関する情報が手元にないため、今のところはわかりません。
意外なところにある大津市の上水道遺構なので、旧逢坂山隧道を見学するついでに観てはいかがでしょうか?
◆おすすめポイント
逢坂一丁目交差点から東へ分岐する国道一号線の一部は、明治13年から大正10年までの期間は旧東海道本線の線路敷でした。現在の線路に変更された後は築堤が残されていましたが、太平洋戦争後に国道一号線として一部が再利用されて現在に至っています。
◆アクセス
京都大学防災研究所附属地震予知研究センター逢坂山観測所は京阪電気鉄道京津線上栄町から南へ750m(11分)