新近江名所図会
新近江名所圖會 第365回 鈴鹿峠越えの安全を祈る-甲賀市土山町・田村神社-
東海道の難所のひとつである鈴鹿峠。そのたもとで古来より旅人が交通安全を祈願した田村神社があります。御祭神として平安時代の征夷大将軍として高名な坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)、第11代垂仁(すいにん)天皇皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)、第52代嵯峨天皇(786~842)が祀られます。
当社は弘仁(こうにん)3年(812年)、嵯峨天皇の勅命により鈴鹿峠の二子(ふたご)の峰にて神事が執り行われ、弘仁13年(822年)に現在の地に遷り社殿が創建されたと記録があります。のち、天文11年(1542年)、山中秀国(ひでくに)と北畠具教(きたばたけとものり)の戦火に巻き込まれ、嵯峨天皇の宸筆(しんぴつ:天皇の直筆)含め大半が焼失しています。寛永15年(1638年)に後水尾(ごみずのお)天皇により「正一位(しょういちい)田村大明神」の額が下賜(かし)されています。土山の地は坂上田村麻呂が鈴鹿峠に跋扈(ばっこ)していた悪鬼を討伐し、街道の安全を確保したことから選ばれたといわれます。
◆おすすめpoint
田村神社は厄除けの神としても高名です。坂上田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を討伐したのち、五穀が実らず、疫病が流行しました。弘仁3年正月に嵯峨天皇の勅命で厄除大祭が執り行われたことで、当社は厄除大神として信仰を受けるようになります。現在でも毎年2月17日から19日にかけて厄除大祭が執り行われています。
また、本殿の前には厄落としの太鼓橋があります。伝承によると、ある夜、田村大神が夢に現れ、悪い年に当たったとしても災難を取り除くには、社殿前の川に節分の福豆を年の数だけ東に向かって流せば厄も流れると告げられたことで、「厄豆落し」が慣例となったと言われます。
そのほか、坂上田村麻呂は武芸に秀でた将であったことから、武家からも信仰を集め、特にその末裔といわれる奥州一関藩(おうしゅういちのせきはん)田村氏から篤い崇敬を受けています。
なお、第一鳥居(写真1)の横にある「田村神社」の石碑は元帥海軍大将、東郷平八郎(1848~1934)の揮毫(きごう)(※註1)、第二鳥居(写真2)の近くにある「田村神社由緒之碑」は陸軍大将、宇垣一成(うがきかずしげ)(1868~1956)の揮毫によるものです。また、境内には近世に建てられた灯篭などの石造物が散見されます。
◆周辺のおすすめ情報
田村神社から国道1号を挟んだ向かい側に道の駅「あいの土山」があります。「あいの土山」というのは、「〽坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と鈴鹿の馬子唄(まごうた)に唄われる一節です。道の駅では土山(つちやま)で育てられたお茶や地元で作られる「蟹が坂飴」(※註2)をはじめ、地元の特産品が並びます。東海道散策とともに足を運んでみてはいかがでしょうか。
(福井知樹)
※註1:毛筆で書かれた言葉や文章。著名人や書家などが書いた格言や看板などの文字について言うことが多い。
※註2:土山宿やその周辺の名物。鈴鹿山麓で人々を悩ませていた巨大な蟹の怪物を高僧が成敗した伝説に因む。
◆アクセス
【自家用車】新名神高速甲賀土山ICから車で5分
【公共交通機関】JR草津線貴生川(きぶかわ)駅下車、あいくるバス大河原(おおかわら)行もしくは田村神社行「田村神社」下車