新近江名所図会
新近江名所圖會 第454回 渡れたらまっすぐ、今は橋を使って遠回り―旧中山道横関の渡し跡―
今年度、私は異動し、それまでの電車通勤から車通勤となって、ますます体を動かす機会が少なくなりました。おなかを引っ込めるためもあって、暑さがマシな時期になると、またいろいろな街道を歩いてみたくなります。
江戸時代の旧街道を歩いていると、当然ですが川にしばしば行き当たります。多くの場合、現在では橋がかけられていて、それを渡ることで難なく向こう岸に渡ることができます。しかし当時は、軍事上の目的もあってあえて橋がかけられていないことも多く、川幅の広い大河川であるほど、その傾向が強いようです。したがって、橋がないのに向こう岸に渡ろうとすれば、お金を出して舟などに乗る必要が出てきます。
近江では、そういった渡し場として、現在の湖南市・甲賀市にある「横田の渡し」がよく知られていて、これについては新近江名所圖會第391回で紹介したところです。水量が比較的多く、川幅の広い野洲川を渡る「横田の渡し」には、遠くからでも見えたであろう巨大な常夜燈が設けられていました。
今回紹介する「横関の渡し」は、現在の蒲生郡竜王町と近江八幡市にまたがる、日野川を渡る渡し場です。現在でも、竜王町側には西横関の集落があり、近江八幡市側には東横関の集落があり、それぞれ中山道沿いに家屋が並んでいます。
私は西から東へ、つまり京側から江戸方面に向けて歩いていたのですが、西横関の集落を抜けると道は日野川の堤防へと上がります。そのまま100mほど歩くと、突然除草された平地が川側に現れ、そこに設置されていたお手製の板に、「横関川渡し跡 この下にありました」と手書きで書かれていました(写真1)。おそらく、地元の方が史跡を残し伝えようとして、このように維持・管理してくださっているのだと感じました。
resize-1024x682.jpg)
ただ、「横関の渡し」を示すものはその看板以外になく、「横田の渡し」に比べるとだいぶ規模が小さくて、少し拍子抜けするくらいでした。また、川岸に近付くには堤防から雑草の中を降りて行かなければならないため、それは早々に断念して、遠回りをして橋を渡り、反対側の東横関に向かいました。
resize-1024x682.jpg)
東横関側は、西横関側に比べるとだいぶ開けた場所が渡し場となっていて(写真2)、地元自治会が絵入りの案内板を設置していました(写真3)。絵の内容は、安藤広重の浮世絵連作『木曽海道六拾九次』の「武佐」として描かれた横関川(地元では日野川をそのように呼んでいました)の舟渡しです。

武佐宿は横関から4kmほど東側(江戸側)の66番目の宿場ですが、広重があえて横関川の渡しを描いたのは、武佐宿にこれといった題材がなかったというよりも、横関の舟渡しの風情ある風景を描きたかった、ということなのでしょう。舟橋とは、水量の少ない時期に川幅に舟を渡して固定して橋にしたもので、今でも冬季には水量の少ない日野川の特徴をよく示しています。描かれている舟が2艘だけなのは、絵画によくある誇張だとは思いますが、川幅が渡し場付近で40mほどと狭い日野川の特徴を、これもまたよく示していると思いました。
【おすすめポイント】
あえてお勧めしたいのは、直線で結ばれる渡し場を、わざわざ遠回りして歩く大変さです。国道8号線は、滋賀県内では旧中山道をおおむね踏襲して進んでいきますが、横関の渡し付近では、200mほど南に離れたところを通っています。旧街道あるあるなのですが、国道のような幹線道路が付近を通っていると、旧街道にそのまま橋がかけられていたら難なく向こう岸へ渡れるところを、幹線道路を使って遠回りしないといけないことがよくあります。
横関の渡し付近では、写真4の空中写真で示したように、江戸時代には舟で渡った最短距離(白線のルート)を、現代ではその6倍以上の距離(赤線のルート)を歩いて移動しなければならないことになります。街道歩きの目的が、移動ではなく歩くことそのものでもあることからすれば、まっすぐ橋がかけられていないこのような状況は、むしろ喜んで受け入れるようにしています。

【周辺のおすすめ情報】
京側に2kmほどの場所には、鏡宿がありました。武佐宿とその1つ京側の守山宿の中ほどに位置する間(あい)の宿と格が下がったのは、江戸時代になってからのことでした。しかし、本陣・脇本陣も置かれたことから、実質的には宿としての機能を持っていたようです。そのほか、国道8号沿いには源義経元服の池(写真5)もあるほか、少し京側に行った野洲市大篠原には、平家終焉の地とされる蛙不鳴池(写真6)などもあります。また、平成15年(2003)には、道の駅竜王かがみの里もオープンし、地元民や観光客でにぎわっています。


(調査課 小島孝修) 小島孝修の活動状況は【コチラ】
◆◇◆ あわせてのご案内 ◆◇◆
令和8年度秋季特別展・安土城築城450年記念「天下人の城下町 安土」
450年前、尾張国(愛知県)から台頭して天下静謐を目指した織田信長は、近江国(滋賀県)安土で、壮大な城の建築に着手し、そのお膝元に新たな城下町を築きました。彼がとったさまざまな工夫により、町は大いに賑わい、その後の城下町のモデルとなって、大坂、江戸へと引き継がれていきました。その起点となった安土城下町の形成過程や実態を残された資料から探ります。会期 2026年10月10日(土)~2026年11月15日(日)詳細 コチラをご覧ください
.