新近江名所図会
新近江名所圖会第294回 渡来人の足跡-東近江市石塔寺
東近江市石塔町
滋賀県にはいろいろな形で、渡来人の足跡が残っています。その代表格が大津市の北部地域(近江神宮から日吉大社周辺地域)に分布する志賀古墳群です。渡来人の墓域といわれている古墳群で、第1回桐畑古墳、第22回百穴古墳群、第143回穴太野添古墳群と新近江名所圖会でも何度か紹介しています。
今回紹介するのは、お墓ではなく石塔です(写真1)。この石塔は東近江市の旧蒲生町域の石塔寺(いしどうじ)に所在しています。東近江市の南部から日野町にかけての一帯は、古代には「蒲生野」とよばれていました(新近江名所圖会第69回雪野寺参照)。この地域には、663年の倭と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に敗れた白村江の戦い以降に、百済から多くの人々が移り住んできたことが『日本書紀』に記載されています。その代表的な人物が鬼室集斯で、この人物の墓の伝承がある墓碑が日野町鬼室神社に所在しています(滋賀文化財だより226、びわこの考湖学第2部45、新近江名所圖会第153回「集斯亭」参照)。このようにこの地域には渡来人とのつながりが非常に色濃く残っています。
石塔が所在する石塔寺は天台宗の寺院で、聖徳太子が建立したとする伝承や平安時代の建立との説などがあります。この石塔は、三重塔で高さが約7.5m、基礎・塔身、屋根からなり、相輪部分は滅失していますが、現在目にすることができる相輪は後世に作られたものです。
そして国内に比較できる類例がないことや、各部の特徴が韓国の百済地域の定林寺五重塔や弥勒寺石塔に近いことから百済の影響を強く受けている石造物であるといわれています。つまり、この地域に移住してきた百済からの渡来人が関与していた可能性が考えられるのです。
おすすめPoint
おすすめポイントは当然、三重石塔になりますが、石塔そのものではなく、石塔に至る石段そしてそれを登り終えた後に広がる五輪塔に囲まれた石塔の光景です。(写真2)
石塔寺の境内の中心は駐車場からすぐのところにある本堂になりますが、石塔はその本堂からは少し離れた山の上に作られています。ですから、石塔に至るためには、石段を登って行かなくてはなりません。石段は意外と急で、下からは全く石塔を見ることができません(写真3)。そのため石段を登り終えると目の前に急に石塔が出現するのです。
そして、それは五輪塔の林の中からニョッキと空に向かってのびている、なんとも異世界な光景です。
この光景をみた司馬遼太郎氏は著作の中で「・・・塔などというものではなく、朝鮮人そのものを抽象化された姿がそこに立っているようである。朝鮮風のカンムリをかぶり、面長扁平の相貌を天に曝しつつ白い麻の上着を着、白い麻の朝鮮袴をはいた背の高い五十男が、凝然として異国の丘に立っているようである。」と表現しています。ぜひ、この光景を目撃してください。
周辺のおすすめポイント
せっかくなので、渡来人に関わる名所を巡るなら「鬼室神社」でしょう。神社はいたって普通の雰囲気ですが、そこに至るまでのルートには地域の人たちと韓国扶余との交流を象徴する建物が作られています。
また、日野町内に所在する馬見岡綿向神社を訪れてみてはいかがでしょうおすすめはこの神社のご神体の使いが今年の干支である猪ですから、そのご利益にあやかってみてはいかがですか。(写真4)
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拝観料 大人400円
【自家用車】名神高速道路八日市IC、蒲生SICから15分 駐車場有
【公共交通機関】近江鉄道桜川駅下車、湖国バス中之郷行き石塔口下車、徒歩15分
(堀 真人)
《参考文献》
司馬遼太郎1997「近江商人を創った地の秘密」『歴史を紀行する』文春文庫 第40刷