記事を探す

新近江名所図会

新近江名所圖会 第324回 新しいのか?古いのか?最北の前方後円墳-長浜市塩津丸山古墳群- 

長浜市
写真1 塩津丸山古墳群(1号墳・2号墳)遠景
写真1 塩津丸山古墳群(1号墳・2号墳)遠景

琵琶湖の最北端、塩津の地に1基の前方後円墳と3基の円墳で構成される古墳群があります。その名は塩津丸山古墳群。滋賀県最北部に所在する古墳群として知られています。
古墳群が築かれた場所は、古代末から中世の港跡、塩津港遺跡から北西方向に直線距離で約1.3キロメートル離れた平野の西端にあたります。現在はJR湖西線の高架下になりますが、前方後円墳である1号墳が南端尾根上にあり、同じ尾根の主峰寄りに円墳(2号墳)が位置します(写真1・2)。そして約100m北に3号墳(円墳)、さらに約100m北に4号墳(円墳)がそれぞれ所在します。
古墳の規模については、1号墳(前方後円墳)は墳長21.5m、後円部径12m、前方部長11.5m・同幅13.5mを測り、前方部を平野部に向けています。発掘調査がされていないこともあり埴輪・葺石などは確認されていないことから、築造された時期は現時点では不明とされています。しかし、墳丘の形、特に前方部が後円部に比して低くなっていることから、前期でも特に古い段階に造られたものと考えられています。
2号墳(円墳)は、1号墳の後円部から西側約5m離れた場所に位置する円墳で、径約9m・高さ1.4mを測ります。これも葺石などの外表施設は確認されておらず、また主体部も不明ですが、立地から1号墳とほぼ同時期か直後のものと推定され、1号墳の陪塚とも考えられています。また、3号墳は径約30m・高さ約4m、4号墳は径約28m・高さ約1.5mをそれぞれ測ります。

写真2 塩津丸山古墳群遠景(写真左側の木立の中に1号墳・2号墳が所在、右側の高まりが4号墳)
写真2 塩津丸山古墳群遠景(写真左側の木立の中に1号墳・2号墳が所在、右側の高まりが4号墳)

古墳群のうち、1・3・4号墳については、その位置・規模からこの塩津を治めていた首長代々の墓であった可能性が考えられます。
さて、塩津はかつて海津・今津とともに湖北の三津と呼ばれ、北陸・畿内・東海を結ぶ湖上交通の要衝とされました。特に塩津は、北に湖が深く入り込んだ湾(塩津湾)を形成していることから、波も穏やかで良港として栄えたようです。河川改修や国道バイパス建設に伴う発掘調査で、神社跡や港跡などが発見されるとともに、当時の人々の生活の様子を示す遺物などが大量に発見されています(塩津港遺跡の内容については「調査員のおすすめの逸品」№159181196286をご参照ください)。
塩津港遺跡を核とした塩津の地については、平安時代以前の様子についてはまだ不明な点も多いのですが、それ以前も物資輸送のルートとして重要視されていたことは、他の考古資料から窺い知ることができます。
周辺では、古戦場で有名な賤ケ岳から琵琶湖へと、約3キロメートルにわたって丘陵が琵琶湖に沿って切り立つようにそびえ立っています。この丘陵上に古墳時代前期から中期にかけて132基の古墳が連綿と造られています(古保利古墳群)。これらの古墳の被葬者は、この地域を治め、かつ塩津港を結節点として畿内・北陸・東海の各所を結ぶ水運を掌握した首長の歴代の墓だったと考えられています。

図1 塩津丸山古墳群測量図(滋賀県教育委員会1983『滋賀県文化財調査年報』)
図1 塩津丸山古墳群測量図(滋賀県教育委員会1983『滋賀県文化財調査年報』)

◆おすすめPoint
前置きが長くなりましたが、本題にはいりましょう。塩津丸山古墳群が造られた時期について古墳時代前期と述べましたが、前述のとおり、これは墳丘の形から類推されたもので、具体的な証拠に欠ける状況では、その造られた時期については限定できません。そこで、先に見た古保利古墳群との関係から、築造時期についてアプローチしてみたらどうなるか、考えてみましょう。
塩津丸山1号墳については、前方部が後円部に比して低いという形状から前期の築造と考えられてきました。いっぽうで、前方部を上から見た場合、前方部先端の裾部の開き具合を見ると中期以降の特徴を示すので、むしろ時期を下らせたほうがいいのではないかという意見もあります(図参照)。そのような観点で古墳をみてみると面白いと思います。
さらに補助線として、さきに見た古保利古墳群の被葬者たちが古墳時代前期から中期のある段階まで塩津の地を治めていた首長だったと考えた場合、塩津丸山古墳群が造られた時期は、古保利古墳群が営まれる以前かそれ以降の時期、と考えることができます。古保利古墳群の中でも最も古い古墳のひとつとされている小松古墳は、県内でも最も古い前方後方墳のひとつと考えられていますので、それと同時期、もしくはそれよりも古い前方後円墳の可能性も考えられる、ということになります。

写真3 塩津港遺跡解説版
写真3 塩津港遺跡解説版

県内、特に湖北地域における弥生時代から古墳時代の移行期の墳丘墓もしくは古墳については、これまでの調査で、長浜市鴨田遺跡や同市五村遺跡で発見された造り出し付きの円形周溝墓や、米原市法勝寺遺跡で発見された前方後方形周溝墓などといった、前方後円形以外の墳形を採用した墳丘墓が造られています。このような状況を鑑みると、塩津丸山1号墳が造られた時期については、前期の可能性を全く否定するものではありませんが、むしろ、古保利古墳群での造営が終了した後と考えたほうが、より妥当かもしれません。
いまだ多くの謎に包まれた塩津丸山古墳群ですが、築造時期については周辺の調査事例が増加していく中で、より妥当性の高い時期を決めていくことができていくものと思われます。

◆周辺のおすすめ情報
近隣のおすすめは、何度も登場した、塩津港周辺でしょうか。河川の改修や国道の整備に伴って発掘調査を実施していますが、現在はその状況を見ることができません。ただし、国道の整備で調査した地点、地下道内には調査成果から想定される復元図が掲示されています。ちょうど、地下道を調査した地点の状況がよくわかります(写真3)。

写真4 塩津神社
写真4 塩津神社

また、近所にはもともと港に付属した神社と考えられる塩津神社もあります。本殿が県指定有形文化財です(写真4)。

(松室孝樹)

◆アクセス
【公共交通機関】JR湖西線・北陸線近江塩津駅下車、徒歩25分
【自家用車】北陸自動車道木ノ本IC下車15分 駐車場なし
※長浜市西浅井町岩熊

Page Top