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新近江名所図会

新近江名所圖会 第330回 まさに異空間、学校の裏山の仏たちの世界-野洲市福林寺跡の磨崖仏群-

野洲市
写真1 地蔵立像
写真1 地蔵立像

7世紀後半~8世紀初めの白鳳期には、畿内を中心として各地に数多くの寺院が建立されました。この時期に建てられた寺院を白鳳寺院と呼びます。『日本書紀』と『扶桑略記』の記述によれば、全国の寺院数は、日本最古の本格的な寺院である飛鳥寺の建立から約30年後の推古32年(624年)には46箇寺でしたが、持統6年(692年)には545箇寺になっています。約70年間に500もの寺院が新たに建てられたことになります。
実際、滋賀県では、発掘調査で数多くの白鳳寺院跡が見つかっており、全国的に見ても寺づくりが盛んな地域だったことが窺えます。今回紹介する磨崖仏がある福林寺跡もそうした白鳳寺院跡の一つです。福林寺は、野洲市小篠原の野洲中学校の校地を中心として寺域があったと推測されています。それを裏付けるように昭和50年代に行われた中学校の増築工事や教室増設工事に伴う調査の際に多数の瓦片が見つかっています。福林寺については、不明な点も多いですが、白鳳期から室町時代末頃まで存続したとされています。

写真2 如来像と観音立像
写真2 如来像と観音立像

さて、磨崖仏群はかつての寺域に位置しているとみられています。摩崖仏群がある中学校の裏山に一歩足を踏み入れると、そこには神秘的な雰囲気が漂う異空間が広がっています。この辺りは「堂山」と呼ばれています。林の中の巨大な岩に平肉彫りされた13体の地蔵立像(写真1)は圧巻ですし、如来像2体と観音立像1体が刻まれた室町時代初期の作品とされる磨崖仏(写真2)の美しい姿は一見の価値ありです。摩崖仏を見ていると、心が洗われていく・・・そんな感覚を覚えるのは私だけではないはずです。ぜひ、足を運んでみてください。

◆おすすめpoint
ところで、福林寺跡には本来、さらに多くの磨崖仏があったようです。しかし、その美しさが仇となったのでしょう、現在、福林寺跡に残っている磨崖仏はほんの一部に過ぎず、大正時代にはすでに大部分が大阪方面の富豪の庭に持ち去られてしまっていたとのことです。如来像と観音立像が刻まれた磨崖仏に残る矢穴の痕(写真3)は、仏像を持ち去ろうとした際につけられたものかもしれません。きっと、美しいものから順に持ち去ったに違いありません。

写真3 磨崖仏に残る矢穴の痕
写真3 磨崖仏に残る矢穴の痕

「持ち去られた仏像はどれほど美しかったことか・・・」と考えると、とても残念な気持ちになります。持ち去られた仏像は今どこにあるのでしょうか・・・?

◆周辺のおすすめ情報
野洲中学校の西、国道8号線沿いにある稲荷神社は、もとは氏寺真言宗福林寺の鎮守社として創祀されたものです(写真4)。稲荷神社の境内には、古宮神社が摂社として祭られています。古宮神社の草創は鎌倉時代です。一間社流造・こけら葺きの本殿は、室町時代のもので、福林寺境内にあった十二所神社の建物を大正3年に稲荷神社の境内に移築したものです。古宮神社の本殿は重要文化財に指定されています(写真4)。
なお、新近江名所圖会第316回で、おすすめpointとして紹介した大行事神社(野洲市久野部)の本殿とは建立年代が近いので、両者を見比べてみると面白いでしょう。

写真5 古宮神社の本殿
写真4 古宮神社の本殿

◆アクセス
【公共交通機関】JR琵琶湖線野洲駅下車徒歩25分
【自家用車】名神高速道路栗東I.Cから25分。駐車場有
〇野洲市小篠原
(宮村誠二)

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