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新近江名所図会

新近江名所圖會 第353回 オタマジャクシと2本の大木―多賀町飯盛木

多賀町

皆さんはNHKで毎週放送されている「チコちゃんに叱られる!」はご存知ですか?チコちゃんという名の5歳児設定の着ぐるみが、芸人の岡村隆史さんとゲストの大人達に素朴な疑問を投げかけ、答えられないと「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られてしまいます。
今年の4月16日の放送回の中で、「なんでお玉を「お玉」っていうの?」という題がありました。いつものごとく回答者の大人たちは答えられずにチコちゃんに叱られてしまいました。これに対するチコちゃんの答えは「お多賀がブームになったから」というものでした。この後にこれを解説してくれたのが、國學院大學の新谷尚紀先生です。それによると、お玉は杓子(しゃくし)という名称のスプーン状のもので、これで米(稲魂(いなだま))を食べていたそうです。これが杓子=お米をすくうもの=魂(稲魂)をいれるものと解釈され、魂を入れる杓子=魂杓子=御魂杓子(おたまじゃくし)となっていったとのことだそうです。この「おたまじゃくし」という名称を日本全国に広める役割を果たしたのが多賀大社なのです。
時は奈良時代、元正天皇(在位715~724年)が病にかかり、その平癒祈願として多賀大社の神職たちがご飯とケヤキで作成した杓子を献上しました。その結果、天皇の病はあっという間に治ったそうです。このことによって多賀大社の杓子=お多賀杓子と呼ばれるようになり、後に多賀信仰を広めるアイテムの一つとして用いられてこの「お多賀杓子」が全国区になったそうです。つまり、最初の「御魂杓子」がお多賀さんブームによって「お多賀杓子」となって全国に広がり、なぜか再び「お玉じゃくし」と呼び方が戻ったのです。その戻った理由ですが、確かなことは不明ながらも、言いやすかったからなのではとお答えしていました。そして「お玉じゃくし」が縮まって「お玉」になったのです。言葉を短くするのは今も昔も一緒です。ちなみに、蛙の幼生(子供のころの形態)を「オタマジャクシ」というのも、その姿が「お玉杓子」に似ているからだそうです。

写真1 手前は男飯盛木、奥の赤い車の後ろが女飯盛木
写真1 手前は男飯盛木、奥の赤い車の後ろが女飯盛木

おすすめPoint
前置きが長くなりましたが、この多賀杓子にまつわるものが現在も多賀町にあります。
天皇に献上した杓子を製作した折に出た残りの枝を地に挿したところ、後に「飯盛木(いもろぎ)」と呼ばれるような大木に成長したと言い伝えられています。現在、多賀町多賀の水田地帯の中に2本のケヤキの大木があり、東側のものが「男飯盛木」、西側のものが「女飯盛木」と呼ばれています。「男飯盛木」は幹周6.32m、樹高15m、「女飯盛木」は幹周9.75m、樹高15mとなり、どちらも樹齢は300年以上だそうです。奈良時代には千年ほど足りませんが。それはともかく、この2本の大木は、平成10年に滋賀県指定自然記念物になっています。

写真2 多賀大社の杓子形をした絵馬
写真2 多賀大社の杓子形をした絵馬

またお多賀杓子ですが、多賀大社の拝殿に大きな杓子が設置されています。それとこの有難いお多賀杓子にちなみ、絵馬も杓子の形をしています。多賀大社へ参拝の折はこの杓子にも注目されてはいかがでしょうか。飯盛木もそれほど遠くないので、ぜひ足を延ばしてみてください。

周辺のおすすめ情報
飯盛木のすぐ近く(写真1の左奥に見える建物)にキリンビール/キリンビバレッジ滋賀工場があります。工場見学もされているようですので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
見学ツアーによっては有料のものや年齢制限のあるものもあり、予約も必要となりますので、ホームページなどで確認をしてからお出かけください。ちなみにビール工場ではビールのテイスティング、ビバレッジ工場では午後の紅茶のテイスティングがあるそうなので、選ぶ方によっては自動車の運転ができなくなりますのでお気を付けください。

アクセス
【公共交通機関】飯盛木までは近江鉄道「多賀大社前駅」より徒歩約15分。多賀大社までは同駅より徒歩約7分。
【自家用車】多賀大社へは名神高速彦根I.C.から10分、湖東三山スマートI.C.から15分。駐車場あり。
飯盛木の周辺は駐車場はありません。
(内田保之)

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