新近江名所図会
新近江名所圖會 第393回 日本最古級の梵鐘鋳造遺構―草津市木瓜原遺跡―
現在、立命館大学びわこ・くさつキャンパスがある場所(草津市野路1丁目)は、7世紀末~8世紀初頭頃に製鉄・製陶(須恵器(すえき)・土師器(はじき))・梵鐘(ぼんしょう)の鋳造(ちゅうぞう)をおこなっていた木瓜原(ぼけわら)遺跡があったところです。
遺跡は琵琶湖の比高50mほどのなだらかな瀬田丘陵の中に位置します。その南西4kmほどの所に近江国庁(古代の役所)が営まれ、それに伴い、丘陵一帯は開発が進められたと考えられます。
瀬田丘陵一帯は、近江国庁が活発に機能していた飛鳥時代から奈良時代にかけて、製鉄遺跡や須恵器の生産遺跡が多数存在し、当時の一大コンビナートともいえる工業地帯でした。(瀬田丘陵生産遺跡群として国史跡に指定されています。
木瓜原遺跡は、滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会により大学キャンパスの建設に先立ち、1990年から1992年にかけて発掘調査が行われました。その規模は約13万㎡に及び、遺跡のほぼ全体が調査されました。今回は、検出した遺構の中でも、日本で最も古いとされる梵鐘鋳造遺構を中心に紹介します。
◆おすすめPoint―梵鐘鋳造遺構
梵鐘とは、寺院などで使用される釣鐘(つりがね)のことです。梵鐘づくりの手順は、①地面を掘り窪め基礎を固める、②粘土で作成した中子(なかご)型に外型をかぶせる、③中子と外型のすきまに熱で溶かした青銅(せいどう)を注ぐ、④冷えるのを待って鋳型(いがた)から取り外す、⑤全体を磨いて仕上げる、という工程が想定されています(図1)。
木瓜原遺跡でみつかった梵鐘鋳造遺構(写真1)は、縦4.6m・横3.7mの方形の土坑(どこう)で、鋳型を据える基礎の面から土坑の上面までの深さは最大で1.15mでした。この深さは想定される梵鐘の高さより低いため、本来は1.5mの深さであったと推定され、土坑内には、外型の一部が設置された状態のままで残されていました(図2)。この外型の形状から、直径約90㎝で、駒の爪(こまのつめ:鐘の下端を周る突起帯部分)の張り出しがほとんどない形の梵鐘が作られていたと推定されます。現存するものでは日本最古とされる奈良県の当麻寺(たいまでら)や698年の銘のある京都市の妙心寺(みょうしんじ)のものに形状が似ており、遺構としても最古級のものであることから、国内で梵鐘がつくられ始めた最初期の鋳込み施設と考えられます。
この梵鐘鋳造遺構は、現地から切り取られ保存されています。この遺跡から出土した土器などの遺物とともに、立命館大学びわこ・くさつキャンパス校内のコア・ステーションという建物内に展示されています(観覧無料。事前予約不要)。
また製鉄関係は製鉄炉、大鍛冶場、小鍛冶場などの各種施設跡がみつかっていますが、このうち製鉄炉本体は、大学のクインススタジアム(多目的競技場)の地下に現地保存されています。こちらは事前予約が必要ですが見学ができます(写真2)。
◆周辺のおすすめ情報
〔源内峠遺跡〕
木瓜原遺跡と同様、古代の瀬田丘陵一帯に多数あった生産遺跡の一つ。丘陵の中央付近に位置する製鉄遺跡で、長さ2m以上の製鉄炉が複数見つかっています。その当時、瀬田丘陵以外ではそのような規模の製鉄炉は見られないことから、国家規模の鉄生産が行われたと考えられています。現在、遺跡のあった場所には地元有志の源内峠復元委員会の手による、製鉄炉の実物大模型が展示されています。(新近江名所圖会第23回参照) 遺跡は県立美術館・図書館・埋蔵文化財センターがあるびわこ文化公園の一角にあります。最近、カフェなどのレクリエーション施設も増えました。散策がてらぜひ立ち寄ってみてください。(新近江名所圖會第367回参照)
【参考文献】
・『古代の製鉄コンビナート 立命館大学びわこ・くさつキャンパス 木瓜原遺跡の発掘』立命館大学(1994年)
・『木瓜原遺跡』滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会、(1996年)
◆アクセス
【公共交通機関】
(立命館大学びわこ・くさつキャンパス)
・JR琵琶湖線南草津駅下車、近江鉄道バス「立命館大学行き」・立命館大学経由「松ヶ丘五丁目行き」・「県立長寿社会福祉センター行き」に乗り変え約20分。
※見学の際には、事前に立命館大学への問い合わせが必要です。
・木瓜原遺跡見学申し込み様式はこちらから。
・立命館大学作成の木瓜原遺跡の紹介はこちら。
(田中咲子)