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新近江名所図会

新近江名所圖會 第395回 『信長公記』に三度登場する城―田中城跡―

高島市

 私が執筆した新近江名所図会の記事を改めて振り返ってみますと、ほとんどが山のほうにある名所・スポットをご紹介していたようです。では、今回もブレずに山のほうにある名所を推していきたいと思います。

写真1 田中城遠景

 鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、高島の地では近江源氏佐々木氏の庶流一族である通称「高島七頭(しちがしら)」が割拠してこの地を治めていました。このうち惣領家である越中氏は清水山城(しみずやまじょう)(高島市新旭町/名所図会第209回参照)を拠点としました。そして、越中氏に次ぐ実力者であった田中氏が拠点としたのが、今回ご紹介する田中城(高島市安曇川(あどがわ)町)です。

 この田中城に関しては、『信長公記(しんちょうこうき)』の記事に三度登場します。一度目は元亀(げんき)元年(1570)に朝倉義景(よしかげ)を討つために越前に向かった信長が、当時、浅井(あざい)氏の勢力下にあった田中城に滞在し、この8日後に浅井氏の離反が起こっています。二度目は元亀三年(1572)に志賀・高島郡の浅井・朝倉軍を攻めるために出陣したとき、明智光秀らの諸将に付城を設けさせ、木戸・田中の両城を看視させています。(木戸の城は清水山城と推測される)。三度目は天正(てんしょう)元年(1573)、彦根松原で建造した大船で高島郡に攻め寄せ、木戸・田中両城を攻略するなど、浅井方の勢力を掃討します。また、この際に両城は明智光秀に与えられたとされます。

おすすめのポイント

写真2 観音堂

 田中城をおすすめする理由のひとつは訪れやすさにあります。公共交通のアクセスはお世辞にもあまり良くありませんが、麓から主郭(しゅかく)までの比高差はおよそ60m程度で、散策路や案内板も整備されています。油断は禁物ですが、気軽に散策できる山城と言えるでしょう(写真1)。

 さらにうれしいことに、見応えのある遺構もよく残っています。田中城は延暦寺の末寺であった松蓋寺(しょうがいじ)の跡地を利用して築城されたと考えられ、現在は観音堂一宇が松蓋寺の法灯を伝えています(写真2)。山麓斜面部を中心に築かれる、段差や土塁で画された平坦面群は、かつての寺坊を家臣たちの屋敷地として改修・再整備されたものとみられます。

写真3 主郭からの眺望

 また、観音堂の背後にある尾根筋には、城を守る仕掛けとして堀切や虎口(こぐち)といった城郭遺構が残っています。城内の最高所となる部分に築かれた主郭は、周囲に土塁や空堀を巡らせています。主郭からの眺望は、眼前に広がる高島平野南部や対岸の伊吹山、彦根市域までも見渡すことができます(写真3)。

写真4 主郭手前の虎口(正面右手に行くと主郭へ)

 主郭のすぐ南側には土塁で囲まれた虎口が設けられ、主郭の様子が見えないように工夫されています(写真4)。さらに、移動しやすい尾根筋には主郭を挟んで南北2か所に堀切が築かれ、尾根伝いを容易に移動できないようにしています(写真5)。(※南側にある堀切付近は尾根がやせ細っている箇所があるので、見学の際には滑落に注意してください。)

写真5 主郭北方にある堀切

 このように散策路や案内板も整備されていて気軽に登城できる上に、一級史料である『信長公記』にも記載がある点や、城郭遺構が良好に残っている点、かつて繫栄した天台寺院との関係性などなど、田中城はおすすめポイント満載の私のお気に入りの名所です。

周辺のおすすめ情報

 田中城案内板から山裾の県道を北東へ1.6kmほど進むと玉泉寺(ぎょくせんじ)があります。ここにいらっしゃる五智如来(ごちにょらい)と呼ばれる五体の大きな石仏は、高島市鵜川の四十八体仏と同様の作風で一見の価値ありです。(新近江名所図会第237回参照)

※玉泉寺へは田中城案内板から徒歩で約20分、車で約3分。最寄りのバス停は高島市コミュニティバス「三田」(安曇川駅からの循環バス)。

(小林裕季)

アクセス:【所在地】高島市安曇川町田中上寺

【公共交通】 JR湖西線安曇川駅から徒歩約40~50分 または

 江若バス(高島市コミュニティバス)安曇川駅からの循環バス〔上寺・田中線〕上寺(うえでら)バス停すぐ登城口 ※バスは2時間に1本くらいしかないので事前に時間をよく確認してください。

※※田中城登城口には駐車場はありません。普通車を止める程度のスペースはあるので、近隣の迷惑にならないようご配慮ください。

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