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調査員のおすすめの逸品№356  水上の糧―ヒシの実―

大津市

 ヒシの実は、忍者の「撒菱(まきびし)」やゲームのアイテムなど、“地面に撒いて踏むと痛い”という防衛・防犯グッズのイメージが強いかもしれませんが、食用にできる果実です。

写真1 粟津湖底遺跡(上空より)

 生で食べることもできますが、少し青臭さを感じるため茹でた方が断然美味で、ほくほくとしたクリに似た味がします。アジア圏では茹でたヒシの実を路地販売しているところもあるので、パリのマロニ(栗)売りのように、比較的少量から口にすることができます。日本国内でも食用にされることがあり、また食糧難の折には救荒食として重用されました。アイヌ民族には“ぺカンペ祭り”という、重要な食糧であるヒシの豊作を神に感謝する祭礼があります。いずれにしてもヒシの実は、現代の我々の生活ではあまり一般的ではなくなっているので、見たこともないという方も多いかもしれません。

 ヒシは「ヒシ科ヒシ属」の水生植物と従来いわれてきましたが、近年のDNA塩基配列解析を基にした“APG分類体系”では、ヒシは「ミソハギ科」であるとされ、従来の形態を基本とする分類と異なる「科」が示されています。

写真2 植物遺体の堆積(粟津湖底遺跡)

 生育地は温帯から亜熱帯、日本では北海道から九州まで分布します。淡水域の沼池底などの土壌に根を張り水面に菱形~円みのある三角形の葉を広げる浮葉植物で、7~9月頃白い花を咲かせた後、結実します。果実の形はおおむねやや扁平な倒三角形で、2本ないし4本の刺状の突起、コブ状の突出部を複数持ち、形は変異に富みます。大きさも1㎝に満たない小さなものから、5㎝以上の大きなものまであります。

 琵琶湖の南端に位置する粟津湖底遺跡(写真1)からは、多くの食用とされたヒシの果皮がみつかっています。同遺跡は、縄文時代早期のクリ塚や自然流路、中期の貝塚を中心とする遺跡です(逸品第288回参照)。湖底に眠っていたこの遺跡は、豊富な湖水にパックされて、通常の遺跡では残りにくい植物質遺物が多量にみつかりました。(写真2)

写真3 いろいろなヒシ属の果実(粟津湖底遺跡出土)

 出土ヒシは5~50㎜程度と大きさも形状も様々でした。(写真3)このうち、中期の貝塚出土のものはすべて破損しており、早期のものは、人為的に形成されたクリ塚出土のものは大型で破損するものが多く、それ以外の自然堆積と考えられる部分では完形を保っているものが大半で、小型のものが多い状況でした。これら中期の貝塚と早期のクリ塚に含まれるヒシの実は、どんぐり(逸品第314回)やトチノキ(逸品第347回)などの果皮や種子とともにまとまって出土していて、重要な食糧であったことが明らかになっています。中期の貝塚出土の食糧残滓(食べかす)から求めたカロリー比では、動物・魚類・貝類を抑えて半分強を植物質食糧が占め、ヒシはトチノキに次いで2番目に多い種類であったことがわかっています。(図1)

 縄文時代には全国でたくさんの食べかすのまとまりである貝塚がみつかっていますが、ヒシの果皮は淡水域に独特のものといえます。水に浮かんでいて採集しやすく、アク抜きが必要なドングリやトチノキのように手間をかけなくてもそのまま食用にできるので、自生していたヒシの実は、大切な食糧として重用されていたことでしょう。

図1 粟津湖底遺跡第3貝塚出土食糧残滓のカロリー比

 遺跡から出土するヒシの実は、有用植物の採集や縄文人の生活を、改めて我々に考えさせてくれる逸品です。                             (中川 治美)

<参考>『粟津湖底遺跡 第3貝塚』滋賀県教育委員会・(財)滋賀県文化財保護協会1997

『粟津湖底遺跡 自然流路』滋賀県教育委員会・(財)滋賀県文化財保護協会2000

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