新近江名所図会
新近江名所圖會 第396回 前方後円墳を2基も含む湖西地域の大古墳群―春日山古墳群―
琵琶湖の北湖と南湖の境に架かる琵琶湖大橋の西側には、堅田(かたた)平野が広がっています。この平野を東側に望む堅田丘陵には、いくつかの古墳群が分布しています。そのうちのひとつである春日山(かすがやま)古墳群は、北側を真野川、南側を天神川で分断された丘陵でも南側にあたる場所に所在しています。
JR湖西線の堅田駅から西側に進んで新しくできた住宅地を抜けると、古墳群が所在する標高150~200mほどの小高い丘陵が現れます。湖などの底に堆積した古琵琶湖層群と呼ばれる土砂の地層でできた丘陵は、いくつもの尾根や細長い谷を含む複雑な地形をしています。その一部は丘陵内をめぐる遊歩道などを備えた春日山公園として整備されており、古墳群の一部も古墳ゾーンとして公開され、直径33m・高さ4.5mの規模がある古墳(円墳)が実際に見学できるようになっています。(写真1)
◆おすすめポイント
これまでに行われた分布調査によって、200基以上の古墳で構成される古墳時代前期から後期にかけての大規模な古墳群であることがわかっています。また、尾根や谷などの地形を基準として、古墳群には11のグループ(A~K支群)が存在するとされています。(写真2)
古墳時代後期に造られた古墳が多い中で注目されるのが、古墳ゾーンの南側に分布しているE支群で見つかった古墳時代前期にあたるふたつの前方後円墳です。ひとつは東側に位置するE1号墳で、墳長約60mを測るものです。もうひとつは、この古墳の北西側約100mの尾根上に造られたE12号墳で墳長53mを測るものです。これらは平野に近い東端に分布し、平野や琵琶湖からの眺望を意識した立地に築かれています。いずれも埴輪などの遺物は確認されていませんが、墳丘の形から年代は4世紀後半頃と考えられています。大阪府堺市に所在する大仙古墳(仁徳天皇陵)に代表される前方後円墳は、大王や地域の有力者が築く古墳です。これらの古墳についても堅田地域に関わった有力者の古墳とみられ、この地域がその後の時代に湖上交通の拠点となっていることから、古墳に葬られた有力者も湖上交通に関わっていた人物の可能性が考えられています。
これらの古墳は木々が生い茂っているため、簡単にはその姿を見ることはできません。大きさのイメージとしては、後円部の直径がE1号墳は32m、E12号墳は28mであることから、古墳ゾーンで見学できる古墳とほぼ同じかわずかに小さい程度の大きさで、前方部を含めるとほぼ倍に近い大きさがあることになります。また、古墳の立地環境は、古墳ゾーンからの眺望によって体感することができるのではないでしょうか。(写真3)
◆周辺のおすすめ情報
古墳が築かれたころの湖岸は、現在よりも丘陵側にあったと考えられています。現在の湖岸は、丘陵から2㎞ほどの距離にあります。湖岸には、浮御堂で知られる満月寺や国指定名勝である居初(いそめ)氏の庭園など数多くの見どころがあります(「新近江名所図会 第8回 堅田の町並みと浮御堂」に詳しく紹介されています。)
◆アクセス
【公共交通機関】JR湖西線堅田駅から西へ徒歩15分
【車】国道161号線仰木口の交差点を西へ進み、明神橋の交差点を右折。しばらく進んだところにある春日山公園の案内標識を左折すると、公園駐車場に到着。
(中村智孝)
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