新近江名所図会
新近江名所圖會 第417回 中山道をゆく―今宿一里塚―
京都に隣接する近江国には北陸道・東山道・東海道と日本列島の主要街道が通過していました。政治の中心が江戸に替わった近世でも、東海道と中山道という五街道の二本が近江国を通過しています。
近江国を通る東海道には土山(つちやま)、水口(みなくち)、草津、大津の4宿、中山道には柏原(かしわばら)、醒井(さめがい)、番場(ばんば)、鳥居本(とりいもと)、高宮(たかみや)、愛知川(えちがわ)、武佐(むさ)、守山、草津の9宿が設けられていました。現在では衰退著しいとはいえ、街道に面して門を開く社寺や古い店舗の名残を残す家が並んでいる風景は、どこか懐かしい雰囲気を感じます。とくに中山道は往時の面影を多く残しており、グループで探訪される中高年の方々があとを絶ちません。
さて、街道の面影は宿場町によく残されていますが、宿場の街路のほかにも見られます。その一例としてここでは今宿一里塚(いまじゅくいちりづか)を紹介します。
◆おすすめポイント
現在の今宿は守山市の街の一つ。旧野洲郡の守山宿から続く街のうち、旧栗太郡に属す部分が今宿と呼ばれていました。緩やかにカーブする旧中山道の南東側に大木の植わった小高い塚が残されています。大木は榎(えのき)だそうです。本来は街道の両側に一基ずつ設置されていましたが、残されているのは南東側の一基だけです(写真1)。
ご存じの通り、一里塚は街道の両側に1里(約4㎞)ごとに幕府が設置したもので、街道のマイルストーンであり、旅人にとっては街道の案内であるとともに、馬や籠の賃金の目安とされたようです。休息する旅人には木陰を提供したことでしょう。
明治維新によって一里塚は廃止され、江戸時代のものが残っているのは全国的にまれです。そうした数少ない遺跡として今宿一里塚は県の史跡に指定されています。
旧街道の面影は並木道にも見ることができます。道の保全のため街道の両側には松や欅を並べて並木道とすることが多く、県内では近江八景の一つに挙がる“粟津の松原”がよく知られています。しかしいまでは数本を残すのみ。それに引き換え、旧中山道が豊郷(とよさと)町と彦根市の境界を通るあたりには、立派な並木が残っています(写真2)。並木の木々は幹が太く樹齢を重ねているので、おそらく江戸時代の風景を残しているのでしょう。旧中山道は宿場町以外にも歴史の発見が多い街道なのです。
◆周辺のおすすめ情報
・東門院:守山宿のほぼ中央に位置する天台宗の寺院。比叡山延暦寺の東の入口を霊的に守護する寺院として建立されたと伝わります。正式名は「比叡山東門院守山寺」。“守山”の地名の由来となったとされています。⇒過去記事『新近江名所圖會 第357回 京立ちの守山泊り―守山宿を訪ねて―』参照。
・うの家(け):昭和~平成の時期に内閣総理大臣、外務大臣などを務めた政治家、宇野宗佑(うのそうすけ)氏の生家を公開しています。もとは造り酒屋でした。現在は元の建屋の作りを活かして改装され、宇野宗佑氏、森口華弘(かこう)氏(友禅作家・人間国宝)の展示室があるほか、レストラン、カフェが併設され、会議や教室、催し等多目的に利用できる、市民交流活動の場として整備されています。
このほかにも、地元の方々が宿場町としての守山商店街を盛り上げるべく、さまざまな店舗展開をされています。
(伊庭 功)
◆アクセス
・今宿一里塚:JR琵琶湖線守山駅から徒歩25分
・東門院、うの家:JR琵琶湖線守山駅から徒歩12分