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新近江名所図会

新近江名所圖會 第372回 ”校舎”から”図書館”へ、まちの想いが姿を変えた―旧甲良東小学校―

甲良町

わたしが子供のころに通っていた小学校といえば、どの校舎も鉄筋コンクリートの壁に白色やベージュ色が塗られて、少し無骨でシンプルなたたずまいをしているものがほとんどでした。それがいまや、校舎も個性が求められる時代。たくさんの木材であたたかさを表現したもの、近未来を思わせるような曲線的な表現をしたものなど、どの学校もオンリーワンを目指してさまざまな校舎が生み出されています。わたしが通っていたころの、白い長方形が単純に並列しているような校舎もいずれ見られなくなるのかもしれません。

写真1 旧甲良東小学校本館
写真1 旧甲良東小学校本館

さて、それ以前の校舎、木造の校舎は全国でも少なくなっています。人口減少の流れの中で廃校となり解体されたり、耐震性の問題で新しく建て替えられたりなど、近い将来、木造校舎はきっと見られなくなることでしょう。その一方で、そんな校舎が放つレトロな雰囲気に魅力を感じる人が多いのも事実で、かくいうわたしもその一人です。滋賀県では、すでに廃校になったものもありますが、いまだ現役の沖島小学校など、木造校舎を各地で見ることができます。今回はそんな中のひとつ、甲良町にある旧甲良東小学校本館を紹介します。

甲良町は、滋賀県の湖東地域、犬上川の南に広がる町です。町の中心から少し離れた場所に、昭和の雰囲気を醸し出す旧甲良東小学校本館が現存しています。この建物は、昭和8年(1933年)に東甲良尋常小学校の本館として建てられました。総檜で造られており、その豪勢さは建設当初、日本随一ともいわれたそうです。この学校の特徴はそれだけではなく、当時の村人や児童が協力して作り上げたというところにあります。村人が材木の運搬を行い、児童はレンガの手送り、地づきの綱引きなどで参加し、8年の時を経て校舎が完成することとなりました。まさに住民が一体となって作られた校舎だったのです。

写真2 当時の校舎平面図
写真2 当時の校舎平面図

しかし、どんな校舎も老朽化の波には勝てません。この校舎も建設から半世紀の時がすぎ、いよいよ建て替えを迫られることとなりました。そのとき、この校舎を守ろうとしたのは、ほかでもない住民でした。住民たちの、校舎の文化遺産的価値が高いという想い、自分たちが建設に携わり、自分たちが通った校舎を保存したいという強い願いが届き、この校舎は平成4年(1992年)に町指定文化財の建造物に指定され、後世に残されることとなったのです。住民の強い誇り・愛着が、今まさに消失しようとしていた文化財を救ったのでした。
その後、甲良東小学校はこの校舎のすぐ道向かいに新築されました。そして、旧校舎は当時の姿そのままに、甲良町立図書館として生まれ変わったのです。きっとこれからも町に愛される図書館として残され続けていくのでしょう。

みなさんは、地元に愛着を感じるものはありますか?それはいまも残っていますか?子供のころから感じていた愛着あるものも、知らずに知らずのうちになくなってしまうかもしれません。そうなる前に、もう一度触れあう時間を作ってみてもいいかもしれません。

おすすめポイント
わたしがおすすめする校舎の見どころは、なんといっても校舎内部の雰囲気です。一階部分は図書館へと改装されていますが、いまなおレトロな雰囲気を失わず、加えて少しモダンで落ち着いた空間を作り出しています。

写真3 校舎内部のようす
写真3 校舎内部のようす

わたしがこれまで訪れた図書館の中でも、一、二を争うぐらいに落ち着ける空間でした。2階部分は裁縫室や作法室などかつての教室の名残が残っています。総檜で造られた校舎内の廊下には、大きな窓から陽の光が入り込み、それが檜の板材に反射して、とてもあたたかい雰囲気を作り出しています。「木=あたたかみ」というのはきっとこういうことなんだと改めて実感させてくれました。

周辺のおすすめ情報
甲良町には、「甲良三大偉人」と呼ばれる甲良町に縁のある歴史上の著名人がいます。鎌倉時代から室町時代にかけて「ばさら大名」として名を馳せた佐々木道誉。豊臣・徳川など時代を作った人物に仕えた藤堂高虎。江戸時代、日光東照宮造替時の大棟梁として名を知られた甲良豊後守宗廣。甲良の地には、彼らの名残が各所に点在していますので、ぜひ巡ってみてください。(藤堂高虎→在士高虎公園、佐々木道誉→勝楽寺・勝楽寺城跡、甲良豊後守宗廣→甲良豊後守宗廣記念館(見学は要予約))

アクセス
【自家用車】名神高速道路湖東三山SIC下車10分
【公共交通機関】JR琵琶湖線 河瀬駅東口より湖国バス甲良線富之尾行 甲良東小学校前下車徒歩1分 (このバスは近江鉄道尼子駅も経由します。)

(木下義信)

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