新近江名所図会
新近江名所圖會 第399回 草津線のレンガ造り橋梁をめぐる―近江の近代化遺産を訪ねて―
明治5年(1872)10月14日、日本初の鉄道が新橋~横浜間で開業しました。明治12年(1879)には、京都~大谷(大津市)が開業し、滋賀県にも鉄道の敷設が始まりました。明治22年(1889)7月に官設鉄道の関ケ原~馬場(現膳所駅)間が開業し、新橋~横浜間が開業して17年の月日を経て、新橋~神戸間の全線が開業しました。
この年には、関西鉄道によって草津~三雲間の路線が開業しています。現在のJR草津線の一部にあたります。翌明治23年には、三雲~柘植間も開業し、現在の草津線全線が開業しました。全線開業時の駅は、草津、石部、三雲、深川(現甲南駅)、柘植の5駅でした。開業18年を経た明治40年(1907)に、関西鉄道が国有化され、路線も官営鉄道の傘下に入っています。草津線が開業して130年以上経過した現在でも、開業時に造られたレンガ造りの橋梁が現役で使われていることをご存知でしょうか。
橋梁は、貴生川駅から甲南駅側と三雲駅側のそれぞれに残っていて、計3か所あります(開業時は三雲~深川間)。いずれも明治23年に構築されています。1つ目は「御庄野橋梁(ごしょのきょうりょう)」です(写真1)。これは貴生川駅から甲南駅側にあり、下の隧道は高さ制限1.5mのとても小さな橋です。
2つ目は「新道橋梁(しんみちきょうりょう)」です。これは貴生川駅から三雲駅側にあり、御庄野橋梁より少し大きく、下の隧道の高さ制限は1.8mとなっています。
3つ目は新道橋梁よりやや三雲駅側にある「国分橋梁(こくぶきょうりょう)」です。下の隧道の高さ制限は2.7mで、3つの橋梁では最大のものとなっています。
◆おすすめpoint
この3橋梁で一番の見どころは、国分橋梁にあります。橋梁上部に、草津線を敷設した関西鉄道の社章がデザインされています(写真4)。「関」の字を意匠化したもので、周囲のレンガと異なり、焼き締められた黒いレンガを使い、少しだけ浮き上がらしています。こういった社章をデザインした橋梁は全国でも珍しいものとなっています。
また、この3橋梁は同じ時期に構築されたものの、橋梁自体のデザインが3者3様となっています。主なレンガの積み方は、「イギリス積み」と呼ばれる、レンガの長辺方向だけを積んだ段と、短辺方向だけを積んだ段を交互に積み上げる方式を採っています。
御庄野橋梁の上部、上から3段目はレンガの角を見せるように、ギザギザになるようにレンガを積んでいます。これは明治期のレンガ建造物特有の装飾と言われます。ちなみに、写真に写っている221系電車は平成元年(1989)に登場した車両なので、橋梁と100歳差があります。
新道橋梁は、写真では草が生い繁っていてわかりにくいですが、上部にV字にレンガを積むヘリンボーンのような装飾がされています(「矢筈積み」とも)。また、ヘリンボーンの上下にはデザインの境目として装飾帯が設けられています。
国分橋梁は上記の社章以外には、下部に装飾帯と御庄野橋梁のようなレンガの角を見せる積み方がされ、隧道はレールを使った補強がされています。
時代が移り変わっても現役で鉄路を支える3橋梁は、近江の近代化の名残といえるでしょう。
◆周辺のおすすめ情報
御庄野橋梁からもう少し甲南駅方面へ足を伸ばせば、矢川神社という神社があります。矢川神社は、国指定史跡甲賀郡中惣遺跡群を構成する一つで、文明14年(1482)建立の楼門(県指定文化財)や甲賀の石造返橋では最大最古の太鼓橋(寛文11年(1671)、市指定文化財)などがあります。
ちなみに、本シリーズ・新近江名所圖会331回、394回で紹介されている天保13年(1842)の近江天保一揆では、矢川寺(矢川神社)の鐘の音を合図に甲賀郡の農民たちが集結し、杣川、野洲川沿いを上り、幕府勘定方の市野茂三郎らのいた三上藩陣屋に迫っています。近江天保一揆の起点となっている矢川神社の前には、一揆150年にあたる平成4年(1992)に、当時の甲南町によって「天保義民メモリアルパーク(天保義民の碑)」が建てられています。
◆アクセス
【公共交通機関】●御庄野橋梁 JR草津線 貴生川駅 下車 東へ徒歩15分
●新道橋梁・国分橋梁 JR草津線 貴生川駅 下車 西へ徒歩25分
【自家用車】御庄野橋梁・新道橋梁・国分橋梁 新名神高速道路 甲南ICから約15分(駐車場なし)
《参考文献》
甲賀市史編さん委員会編(2016)『甲賀市史 第8巻 甲賀市事典』
三上美絵(2023)『かわいい土木見つけ旅』技術評論社
(福井知樹)