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新近江名所図会

新近江名所圖會 第403回 町の趨勢を見てきた大樹―犬塚の欅―

大津市
写真1 葉を落とした冬場の欅

 大津の日赤病院裏の道路ぎわにとても大きな樹があります。樹齢約600年にもなるという欅(けやき)で大津市の指定文化財になっています(幹周3.8m、樹高10m)。

 浄土真宗発展の基礎を築いた蓮如上人が迫害から逃れ、大津の顕証(けんしょう)寺(近松別院)※に滞在中、多くの信者が押し掛けるのを妬んで、他宗門の誰かが蓮如を殺そうと食膳に毒が盛られました。この時、彼の愛犬(弟子の飼い犬という説も)が不思議にもそれを察知し、身代わりに食べ、たちまちのうちに死んでしまったそうです。蓮如は供養のためイヌを手厚く葬り、その地に一本の欅の若木が植えたとのことです。のちに付近の人が欅の下に犬塚の石碑を建てたので「犬塚の欅」と呼ばれるようになりました。近隣の有志による「犬塚を守る会」があり、清掃や手入れを行っているそうです。

おすすめポイント

 滋賀県内ではケヤキの自然林が形成される立地環境の所がありますが、大津市内にはそうした環境が少なく、ケヤキがよく育っているケースは、この犬塚のように植栽されたものが多いそうです。この欅は、周りを住宅に囲まれ、姿もケヤキらしい樹形ではありませんが、ごつごつとした幹肌に、大津の町の移り変わりを見てきた生き証人としての風格がにじみ出ています。冬は木肌をさらし(写真1)、夏は緑陰濃く、四季折々の表情が楽しめ(写真2)、度々元気かどうか見に来たくなります。

写真2 春、新芽が大分伸びてきたころの欅

 ※顕証寺(けんしょうじ)

 1469年(文明元年)、蓮如は園城寺のあっせんにより、南別所の近松に坊舎を建立し、親鸞の祖像を安置しました。坊舎は、当初近松坊とよばれ、のちに近松山(こんしょうざん)顕証寺と称せられました。開山は蓮如の長男順如とし、つづいて蓮淳が後をつぎ、蓮淳は1478年(文明10)、蓮如が山科本願寺の創建に着手してからも、顕証寺を本拠としていました。なお顕証寺は現在も大津市札の辻にあり近松別院、近松御坊ともよばれています。(大津日赤病院の向かい側)

周辺のおすすめ情報

 蓮如上人旧蹟訪問は別の機会にゆずり、今回は旧の東海道筋に出てみましょう。

◎Dry River

 ここは街道とは特に関係ないのですが、「犬塚の欅」のほんとにすぐ隣にあるので、ご紹介。とても小さなパン屋さんですが、ハード系のパン、クロワッサン系、どれも本格的なクオリティでお値段はやや高めですが、本物志向のパン好きにおすすめのパン屋さんです。店内が狭いので、一度に4人くらいしか入れません。

写真3 鶴里堂正面の庇看板。欅の一枚板に彫られた店名は山本竟山氏の揮毫による。

 ◎叶匠寿庵長等総本店

 近江発祥のお菓子屋として全国展開しているブランドのひとつ、叶匠寿庵の第一号店がこの東海道筋にあるお店。間口は狭いのですが奥ゆかしい雰囲気のある佇まいです。

 ◎鶴里堂

 今回のイチ押しは、ここにしかない和菓子屋のひとつ、鶴里堂さんです(写真3)。明治29年創業。屋号は、昔、比叡山より望んだ大津の里が細長い弓形(ゆみなり)で、鶴が翼を広げて飛び立とうとする姿に似ていることから「鶴の里」と呼ばれたことに因んでいるそうです。普段使いの大福餅や赤飯のようなお菓子だけを扱う、いわゆる「おまんや」ではなく、上生菓子から干菓子、羊羹、カステラから季節の和菓子まで一通りのモノが揃う、上級和菓子屋です。三井寺や比叡山に因んだ大津ならではのお菓子が特徴的です。

写真4 三井寺に因んだ干菓子「御井」

例えば、「御井(みい)」という干菓子は、天智・天武・持統三帝の御産湯に用いられたという「御井の霊泉」と、三井の晩鐘伝説からモチーフを取ったお菓子です(写真4)。

 最中や麩焼煎餅、羊羹など、どれをとってもオーソドックスで上質な和菓子です。とりわけ私のお気に入りは、秋冬期間限定の干菓子、「勢多志ゞみ」です。ぷっくりした蜆貝の形をそのままに、香ばしい豆粉をつかった落雁で、ちいさな籠の容器に入っているのがまた風情があります。

「犬塚の欅」はこの新近江名所圖會第390回で紹介した「関寺の牛塔」からも近いので、牛塔を拝み、欅の様子をうかがい、東海道筋へ行くのがお気に入りのルートです。和菓子屋さん以外にも鮒ずしと湖魚佃煮の老舗、老舗料理屋さん、提灯屋さんなど、ぶらぶら歩くだけでも楽しめます。

◆アクセス

【公共交通】京阪電鉄京津線上栄町駅から徒歩約1分。JR大津駅から徒歩約10分。

【自家用車】駐車場なし。

大津日赤病院のすぐ裏手。病院に出入りする車両、人が多いので迷惑にならないように気を付けてください。

(小竹志織)

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