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新近江名所図会

新近江名所圖會 第407回 道路になった河川―栗東市六地蔵~旧葉山川河道―

栗東市
画像1 県道116号線(旧葉山川河道)

 前回に続いて、今も残る旧河道のお話しをします。

 栗東市六地蔵を起点とする県道116号線(六地蔵草津線)は、六地蔵集落の南側に位置します。緩やかにカーブしながら手原に向かっている道路は、一見すると普通の道路に見えます(画像1)。ところがこの道路は、半世紀前には「葉山川」と呼ばれる河川が流れていました。

 葉山川は、栗東市六地蔵にある釣里山を水源とし、日向山の南西麓で西に流路を変えて、野洲川扇状地と草津川扇状地の間を流れて琵琶湖に注ぐ河川です。

画像2 2008(平成20)年撮影空中写真 六地蔵付近 現在の葉山川(六地蔵団地と名神高速の間を流れる)

 2008年(平成20年)に撮影された六地蔵付近の空中写真を見ると、現在の葉山川は日向山の南西麓を大きくカーブして六地蔵団地と名神高速道路の間を流れています(画像2)。 

図1 明治時代の地形図 六地蔵集落の南側に沿うように河川がある

 ところが明治時代の地形図を見ると、六地蔵集落の南側に沿うように河川が存在していたことがわかります(図1)。その流路が現在の県道116号線と同じ場所にあることから、河川を付け替えて道路が建設されたと考えられます。

画像3 1961(昭和36)年撮影空中写真 六地蔵付近 天井川化が進行している葉山川 

おすすめPoint

 それでは、1961年(昭和36年)に撮影された六地蔵付近の空中写真を見てみましょう(画像3)。実体視すると(実体視については、『調査員のおすすめの逸品』No.13を参照)

葉山川の河道が盛り上がって見えます。昭和36年の時点で天井川化が進行していることがわかります。そして右岸の堤防には、いまの県道の原型とも言える里道が走っています。

画像4 1968(昭和43)年撮影空中写真 旧河道は廃川となって放置されていることがわかる

 次に1968年(昭和43年)に撮影された空中写真を見てみましょう(画像4)。昭和36年と同様の河道が見えますが、その南に現在の葉山川河道が存在し、日向山南西麓の分岐点で旧河道が切断されていることが解ります。この時点で旧河道は廃川となって放置されていたことがわかります。

画像5 1982(昭和57)年撮影空中写真 旧河道は整地されて県道工事が始まっている

 画像5は1982年(昭和57年)、画像6は1987年(昭和62年)に撮影された空中写真です。画像5では新旧河川の分岐点に六地蔵団地が造られ、旧河道は整地されて県道工事が始まっていることがわかります。画像6は六地蔵団地付近をのぞいて県道がほぼ完成している状況が撮影されていました。

画像6 1987(昭和62)年撮影空中写真 県道がほぼ完成しつつある

 このことから、天井川化した葉山川を新川建設によって廃川とし、その跡地を利用して県道116号線が建設されたことがわかります。

 県道になった葉山川の旧河道はその痕跡をほとんど残していませんが、意外なところで残されています。旧和中散本舗 大角家住宅の敷地が旧葉山川の堤防法面にあたるため、その部分だけ残されているのです(画像7)。

画像7 大角家住宅の敷地に旧葉山川の堤防法面が残る

周辺のおすすめポイント

 六地蔵の集落は、東海道に沿った街村で、名所図会第405回でも紹介された旧和中散本舗 大角家住宅が残る古い景観を残しています。また、大角家住宅から徒歩2分ほどの福正寺(旧法界寺)には、「六地蔵」という地名の由来となった六躯の地蔵菩薩のうち一躯が(木造地蔵菩薩立像)現在も残されています。平安時代(10世紀)ころの作とみられ、福正寺のご本尊として重要文化財に指定されています。

(神保忠宏)

アクセス

・福正寺へは手原駅から徒歩約30分。

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