オススメの逸品
調査員オススメの逸品 第181回 コロボックルの道具?-長浜市塩津港遺跡出土ミニチュア品
平成24年度から琵琶湖の一番北の港「塩津港」の遺跡(塩津港遺跡)で発掘調査を行っています。塩津港は琵琶湖水運を通じて北陸と京を結ぶルート上の港であり、日本列島の要港でした。今は静かな街並みの塩津浜ですが、発掘調査の成果からはかつての活況ぶりがビンビンと伝わってきます。
塩津は、山が琵琶湖の間近にまで迫り、平野は少ないのですが、そこに物資が大量に運び込まれてきたのです。港として手狭になった塩津では、平安時代終わりごろに琵琶湖を埋め立てて港を拡張する工事が始まります。埋め立て工事は約100年にわたって次々と行われ、最終的には埋め立て工事によって積み上げた土砂は2m以上にも達し、陸地を40m以上も琵琶湖側へ前進させました。積み上げた土砂内には、一般集落ではめったに見られない遺物が大量に含まれていました。
そのような多彩な出土遺物の中でも、ひときわ注目されるのがミニチュア品です(写真1)。直径3~4㎝の白磁や須恵質土器のお椀、滑石製のお膳(写真1の左端)、下駄(写真1の指差しているもの)、鍬(写真1の右隣)です。下駄は足の大きさが6㎝の人用で、ちゃんと鼻緒を通す穴もあけられています(写真2)。アイヌの人々が言い伝えている身長30㎝ほどの小人―コロボックルが使うのにぴったりの道具なのです。
ミニチュア製品といえば、ひな人形に伴う道具(雛道具)に思いいたります。雛道具は上流社会の女性や子供達の遊び道具として江戸時代には見ることができます。今回出土した品々の時期はそれを大きくさかのぼる12世紀、平安時代後期のものです。材質が白磁のものは中国からの輸入品でしょうから、玩具としては最高級の一品になります。玩具として塩津の人が取り寄せたのはこれだけではありません。中国からの珍しい白磁の犬(写真3)や人形(写真4)も身近においていました。
京都と北陸をむすぶルート上の要港―塩津港には、たくさんの物と、多くの人が集まったはずです。いわば「小都市」といえるような活況を呈していたのです。そこには富があり、余裕ある生活を送る人々もいたのでしょう。最後に彼らの姿をうかがわせるのが写真5の人物像です。素焼きの土器の皿に線刻で描かれたものですが、小太りの目つきの悪い、小憎たらしい顔が何とも言えません。当時の身だしなみの一つである烏帽子はちゃんと被っています。
塩津港からは、これら以外にも多種多様な遺物が出土しました。これから整理調査をすすめ、平安時代の塩津港の実像に迫っていきます。ご期待ください。
(横田洋三)