新近江名所図会
新近江名所圖会 第107回 銅鐸の里は古墳の里-大岩山古墳群(1) 冨波(とば)地区
「野洲・大岩山」と言えば、日本最大を含む24口の銅鐸が出土した地(第21回)として有名ですが、出現期から終末期までの大型古墳を見られるのが特徴であり魅力でもある、大岩山古墳群が造営された地でもあります。
大岩山古墳群には本来は20基以上の古墳がありましたが、現在では直径約1.2kmの範囲に国史跡に指定された8基の古墳が残るのみです。JR琵琶湖線西側の平野部の住宅地にある冨波地区に冨波古墳・古冨波山古墳・亀塚古墳の3基、東側の丘陵部周辺にある桜生(さくらばさま)地区に大塚山古墳・天王山古墳・円山古墳・甲山(かぶとやま)古墳・宮山2号墳の5基があります。墳丘がわずかに残るだけの古墳もありますが、いずれも保存と活用のために調査・整備されています。そこで、2回に分けて両地区の各古墳を紹介します。
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冨波古墳
冨波古墳は、発掘調査によって発見されました。墳丘の全長が42m、周濠を含めると52mになる前方後方墳です。墳丘の盛土は全て削平されて主体部の構造も不明ですが、周濠内から出土した土器から、弥生時代終末から古墳時代初頭(研究者により見解は異なります)に大岩山古墳群の中で最初に造られた古墳と考えられています。
この時期は弥生時代の墓制である周溝墓から新たな時代の墓制であり社会秩序でもある古墳へ移行する画期にあたることから、調査後は国史跡の追加指定を受けて現地保存され、整備されたその姿を目の当たりにすることができます。また、滋賀県内にはそのほかに前方後方墳が十数基ありますが、その中でも、冨波古墳と造られた時期や立地が似通った東近江市神郷亀塚古墳(第83回)や、前期古墳の特徴でもある丘陵上に立地する大津市皇子山古墳(第20回)と見くらべてみるのも、古墳巡りの楽しみ方としておすすめです。
古冨波山古墳
古冨波山古墳は、3世紀後半に造られたとされる直径26m以上の円墳です。明治時代に三角縁神獣鏡などが出土していて、冨波古墳が発見されるまでは大岩山古墳群の中で最古級とされていました。住宅地内の公園として残り、墳丘を彷彿とさせるわずかな高まりをとどめるのみですが、千数百年の時の流れと繋がりをきっと肌で感じるはずです。
亀塚古墳
亀塚古墳は、5世紀末頃に造られた、全長30m程度の前方後円墳もしくは帆立貝形古墳です。後円部の墳丘がわずかに残るのみですが、前方部が平面表示されていて、当時の姿を想像することができます。
周辺のおすすめ情報
「大河ドラマと城と街道が好き」という欲張りな人には、江戸時代に朝鮮通信使が往来した朝鮮人街道を2kmほど北上すると到着する、永原御殿・妓王寺・妓王邸跡がおすすめです。永原御殿とは、徳川家康・秀忠・家光が上洛する折りに宿泊した「御茶屋御殿」です。わずかに残る堀・石垣と林を取り囲む道路に当時の敷地の面影が残るのみですが、同じ「御茶屋御殿」である県指定史跡水口城(第37回)と基本構造は同じです。
平清盛との縁が深い祇王の生誕地近くには妓王寺があり、清盛に嘆願して開削したとされる祇王井川も街道沿いや集落内の路地沿いに見ることができます。
アクセス
・JR琵琶湖線野洲駅下車 北口から近江鉄道バス生和神社前停留所下車徒歩3分 ・桜生史跡公園から徒歩約15分 ・冨波古墳・古冨波山古墳・亀塚古墳は県道大津能登川彦根線沿いにありますが、車の場合は桜生史跡公園・銅鐸博物館を起点に徒歩がおすすめ。
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(小竹森直子)
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