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新近江名所図会

新近江名所圖會 第387回 膳所城下町を散策する―大津口から膳所神社―(後編)

大津市
膳所城下町の構造『城と城下町』(2007)p53より転載
膳所城下町の構造『城と城下町』(2007)p53より転載

前編の名所圖會第386回は大津口から旧東海道に沿って膳所城跡まで膳所城下町(ぜぜじょうかまち)の見どころをご紹介しました。後編の第387回では前回に続き、中大手門から膳所神社方向に向かいます。

3.中大手門~膳所神社・縁心寺
中大手門から西側へ少し歩くと豊受比売命(とようけひめのみこと)を祭神とする奈良時代創建の膳所神社があります。国の重要文化財に指定されている表門(薬医門:やくいもん;門の主柱の真上からずれた位置に屋根の棟筋がくる形式で、主柱に屋根付きの控え柱がとりつく門)(写真6)をはじめ、北門(薬医門)、南門(高麗門:こうらいもん;門の主柱の真上に屋根の棟筋がくる形式の門)があり、いずれも廃城時に膳所城から移築したとされる門です。膳所神社の真北には、現在は県立膳所高校がありますが、それ以前は幕末の文化五年(1808年)に建てられた藩校の遵義堂(じゅんぎどう)がありました。遵義堂は膳所高校の敷地内なので見ることはできません。

写真6 膳所神社・表門(重文)・薬医門
写真6 膳所神社・表門(重文)・薬医門

少し順序が逆になりますが、膳所高校の東には旧東海道に面して縁心寺(えんしんじ)があります。縁心寺の位置は和田神社と中大手門の中間くらいの位置なのですが、この寺は膳所藩主本多家歴代の菩提寺です。寺内には本多家の他、初代膳所藩主であった戸田一西(とだかずあき)・氏鉄(うじかね)の墓も建立されています。

今回歩いたのは、大津口から本丸に至る中大手門付近までの約1.2kmの範囲ですが、幕末まで譜代大名として続いた本多家に関連した施設が残されており、やや交通量が多いものの散策に最適なところだと思います。普通に歩くと20分くらいですが、少しこだわって歩くと40~50分くらいかかると思います。

おすすめポイント
膳所城から移築された膳所神社の3つの門や膳所藩歴代藩主の墓がある縁心寺などは、いずれも本多家とかかわりのある施設です。膳所神社の門は膳所城の破却の時にここに移築されたので、瓦には本多家の立ち葵紋が見られます。本多家の菩提所である縁心寺は、門や屋根瓦に立ち葵紋の使用が許されています。そのため、軒先には立ち葵紋の瓦が飾られています。(写真7)それを探しながら散策してみてはいかがでしょう。

写真7 縁心寺門上の立葵紋瓦
写真7 縁心寺門上の立葵紋瓦

周辺のおすすめ情報
大津口と響忍寺のほぼ真ん中あたりに石坐(いわい)神社があります。この神社は城下町とは直接関係ありませんが、天智(てんじ)天皇や大友(おおとも)皇子などが祀られ、主神4神の木像は公開されていませんが国の重要文化財に指定されています。(新近江名所圖會第361回362回参照)

※本文中の下線は散策中に見学できます。

アクセス
【公共交通】
・「膳所城公園」京阪石坂線膳所本町駅から徒歩10分
・「膳所神社」京阪石坂線膳所本町駅から徒歩3分
※旧東海道は道が狭いうえに交通量が意外と多いので道中は車等に注意してください。

≪参考文献≫
・大津市役所1985『新修大津市史』第8巻 中部地域
・大津市1999『図説 大津の歴史』上巻
・大津市歴史博物館2018企画展『膳所城と藩政』築城から幕末十一烈士事件まで
・大津市歴史博物館2004『大津 歴史と文化』―身近な歴史発見―
・滋賀県教育委員会・滋賀県文化財保護協会2013近江大橋有料道路建設工事(西詰交差点改良)に伴う発掘調査報告書『膳所城遺跡』
・滋賀県教育委員会1992『滋賀県中世城郭分布調査報告9』
・安土城考古博物館2007『城と城下町-彦根藩と膳所藩を中心に-』
(三宅弘)

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