新近江名所図会
-
新近江名所図会
新近江名所圖絵第206回 大津蔵屋敷の面影を訪ねて(その1)
大津市 2015年8月26日江戸時代、大名の格式を決める基準となったのは、所領から取れる米の量(石高)でした。石高の大小によって、城を持てるか、それとも陣屋で我慢しなければならないかなどといった大名の格式を幕府は細かく定めていま…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第205回 静寂にたたずむ江戸の名残-大庄屋諏訪家屋敷
守山市 2015年8月12日中山道を中心に、今日もますます発展を続けている守山市。現在では守山駅周辺が中心となっていますが、かつてこの地域の中心は、中山道と湖岸の赤野井港を結ぶ交通の要衝であった赤野井だったといわれています。そし…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第204回 古代の暮らしを体験する―竪穴建物をみて・なかに入る
野洲市 近江八幡市 竜王町 2015年7月29日自分が小学生だった頃、社会の授業で歴史を習ったときに「竪穴住居」という言葉が出てきたかどうか、まったく覚えていません。しかし少なくとも現在では、ごく普通に教科書で「竪穴住居」という言葉が紹介されており…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会第203回 消えゆくムラの人の姿-高時川上流の廃村群-
長浜市 2015年7月15日発掘調査で見つかるムラ。縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・江戸時代、それぞれの時代にムラが栄え、やがて消えていきました。ムラが消えていくのは、それぞれの時代で何らか…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第202回 大溝城と大溝陣屋を訪ねて-高島市高島町勝野-
高島市 2015年7月1日◆乙女ヶ池 JR湖西線高島駅のすぐ東に接して高島病院があります。この病院の南東側には,乙女ヶ池が広がっています。この乙女ヶ池は,もともとこの付近に琵琶湖に面した湾があって,その湾口付近に土砂が堆積した…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会第201回 草津市北西部に集中する古代寺院群 ―花摘寺廃寺・観音堂廃寺等―
草津市 2015年6月10日草津市北西部の下物(おろしも)町から北大萱町にかけての一帯は、7世紀後半代の白鳳文化期に造営された古代寺院跡が集中する地域です。県道26号(通称浜街道)に沿う南北2㎞の範囲内に,実に7か所も古代寺院推…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第200回 安土城考古博物館の回廊展示-滋賀県立安土城考古博物館(その2)
近江八幡市 2015年5月27日今回ご紹介するのは、私どもの第二のホームグラウンド――安土城考古博物館です。特にその中には面した回廊展示にスポットを当ててご紹介しましょう。 安土城考古博物館は平成4年に誕生しました。その建物には、煉…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第199回 ご本尊秘仏14年ぶりにご開帳!-湖南市 岩根山善水寺-
湖南市 2015年5月13日旧甲西町岩根(現在の湖南市岩根)に位置する善水寺は、旧石部町(現在の湖南市)の長寿寺・常楽寺とともに、「湖南三山」として古くから知られる天台寺院です(写真1)。その縁起は奈良時代に遡るとされ、和銅年間…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第198回 江戸時代の大地震―寛文地震とその痕跡-大津市葛川町居町・葛川梅ノ木町
大津市 2015年4月29日最近、阪神淡路大震災や東日本大震災等の大規模地震の頻発から日本列島が地震の活動期に入ったといわれるようになりました。滋賀県は大規模な災害が少ない地域であると思われがちです。しかし、歴史はこの地がたびた…
続きを読む
-
新近江名所図会
近江名所圖会 第197回 菅山寺を訪ねる―長浜市余呉町坂口
長浜市 余呉町 2015年4月15日旧北国街道を行く JR北陸本線木之本駅を降りて東へ400約m歩くと、旧北国街道と旧北国脇往還の合流地点に出ます。北国脇往還は、賤ヶ岳の戦いのさいに豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が岐阜からこの道を通って一気…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第196回 アール・ブリュット最前線―やまなみ工房Gallery gufguf
その他 2015年4月1日滋賀県立安土城考古博物館では、平成26年秋季特別展『造形衝動の一万年-縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱-』という展覧会を開催しました。この展覧会では、1万年前の土偶から現代アートに至る…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第195回 点と点を結ぶ -大津市南比良の樹下神社・天満神社-
大津市 2015年3月18日武奈ヶ岳(標高1214m)や蓬莱山(標高1174m)をはじめとする1000m級の山が連なる比良山系は、古くから畿内を取り巻く清浄な山々の中であり、修験にふさわしい霊山とされていました。承和3年(836…
続きを読む