近世
-
新近江名所図会
新近江名所圖会第208回 膳所六万石城下町の出入口
大津市 2015年9月24日慶長6年(1601年)に徳川家康のよって築城された膳所城については、新近江名所圖絵165号等でご紹介しました。今回は旧東海道に設けられた膳所城下町への出入口についてご紹介します(図1)。 大津市粟津町…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖絵第207回 大津蔵屋敷の面影を訪ねて(その2)
大津市 2015年9月9日前回に引き続き、江戸時代の港湾都市大津を訪ねる旅を続けましょう。 京阪浜大津駅の南側を通る道を線路に沿って東に進むと、すぐにNTT西日本滋賀支店のビルが見えてきます。この支店の敷地がかつての彦根藩大津…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖絵第206回 大津蔵屋敷の面影を訪ねて(その1)
大津市 2015年8月26日江戸時代、大名の格式を決める基準となったのは、所領から取れる米の量(石高)でした。石高の大小によって、城を持てるか、それとも陣屋で我慢しなければならないかなどといった大名の格式を幕府は細かく定めていま…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第205回 静寂にたたずむ江戸の名残-大庄屋諏訪家屋敷
守山市 2015年8月12日中山道を中心に、今日もますます発展を続けている守山市。現在では守山駅周辺が中心となっていますが、かつてこの地域の中心は、中山道と湖岸の赤野井港を結ぶ交通の要衝であった赤野井だったといわれています。そし…
続きを読む
-
オススメの逸品
調査員オススメの逸品 第162回 描かれた神威―琵琶湖文化館蔵「山法師強訴図」
大津市 2015年7月22日最近、このコーナーでも紹介のあった保延3年(1137)の年記をもつ日本最古の起請文、長浜市塩津港遺跡出土の52号木簡には、誓約する神の名が天部の神から日本の八百万の神まで列記されているとの説明があった…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第198回 江戸時代の大地震―寛文地震とその痕跡-大津市葛川町居町・葛川梅ノ木町
大津市 2015年4月29日最近、阪神淡路大震災や東日本大震災等の大規模地震の頻発から日本列島が地震の活動期に入ったといわれるようになりました。滋賀県は大規模な災害が少ない地域であると思われがちです。しかし、歴史はこの地がたびた…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第191回「石の長者」木内石亭ゆかりの燈籠 幸神神社(大津市下阪本四丁目)
大津市 2015年1月21日大津市札の辻で東海道と分岐し、琵琶湖西岸を通り敦賀までを結ぶ西近江路。全長70余kmのその街道は、北陸と京・大坂(大阪)を結ぶ主要街道として古くから多くの人々に利用されてきました。 街道の途中、大津市…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第184回 東海道名物「姥が餅」発祥の地を訪ねて
草津市 2014年10月8日江戸時代に街道菓子として全国的に有名だった「姥が餅」の発祥の地を訪ねて来ました。姥が餅が食べられたかつての茶店は、草津宿から大津へ約1㎞進んだ矢倉立場(立場:休息場所)にありました。船で大津の石場(い…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第182回 桜ばかりを描いた信長の子孫・瑟瑟の墓を守る寺(西蓮寺)
東近江市 2014年9月10日織田信長の血筋は、本能寺の変や関ヶ原の戦いの後も続いており、息子たちの子孫は、江戸時代には大名や旗本となっています。右に示した略系図をご参照下さい。 東近江市の、市役所から八日市インターチェンジに及ぶ…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第180回 彦根城―石垣の石と矢穴―
彦根市 2014年8月13日お城は、史跡のなかでも、しばしば地域のシンボルや観光名所となっています。当時の建物が残っているなら、門・櫓(やぐら)・天守閣などをめぐるのがオーソドックスでしょうし、建物がなくても、郭(くるわ)・お濠…
続きを読む
-
新近江名所図会
新近江名所圖会 第179回 松原内湖の船着き場
彦根市 2014年7月30日かつて、琵琶湖には東国や北陸からの物資を京都に運ぶ天然の運河としての役割がありました。琵琶湖水運は日本の物流のなかで大きな位置を占めていたのです。ただし、琵琶湖は閉塞水域であって、海との行き来がないた…
続きを読む
-
オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品137 猫はいつから?!-膳所城下町の猫-
大津市 2014年7月23日展示ケースの中の薄茶色の猫と目が合いました。関ヶ原の合戦後に徳川家康が築いた膳所城の城下町跡(大津市)からみつかった土製の猫で、半身が欠けているものの、おそらく脚を揃えて座った姿は、全長15㎝、高さ1…
続きを読む