古代
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第390回 「これやこの~」―大津市関寺の牛塔―
大津市 2023年4月26日逢坂(おうさか)の関近く、関蝉丸神社の下手に一般に関寺(せきでら)の牛塔(うしとう)と呼ばれる巨大な石塔が建っています。この付近一帯にはかつて関寺という大寺院があり、万寿二年(1025)の『関寺縁起…
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オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №338《滋賀をてらした珠玉の逸品⑮》近江から東国へ…縦置型一本作りの瓦ー榿木原遺跡出土の複弁蓮華文軒丸瓦ー
大津市 2022年7月13日榿木原(はんのきはら)遺跡は大津市南志賀一丁目に所在する、飛鳥時代後期と奈良時代から平安時代にかけて操業していた瓦窯跡です。榿木原遺跡は昭和14年にはじめて調査され、瓦窯自体は発見できていないものの、…
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オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №336《滋賀をてらした珠玉の逸品⑬》ー大津市穴太廃寺遺跡の輻線文縁軒丸瓦ー
大津市 2022年7月6日平成30年の夏、私は栗東市の蜂屋(はちや)遺跡において思いがけず古代の寺院に関連する遺構や遺物を調査する機会に恵まれました。 発掘調査では、寺院の屋根に葺かれていた夥(おびただ)しい数の瓦が出土しま…
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オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №330《滋賀をてらした珠玉の逸品⑦》祈りを込めるための小さな鏡ー東光寺遺跡出土の海獣葡萄鏡ー
大津市 2022年6月15日「鏡」といえば何を思い浮かべるでしょうか?日頃使用している姿を映すための手鏡・姿見をはじめ、弥生時代から古墳時代に副葬された「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」などの銅鏡、三種の神器のひと…
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オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №328《滋賀をてらした珠玉の逸品⑤》日本ではんこ文化が始まったころー高島市鴨遺跡出土銅印ー
高島市 2022年6月8日印章は、一般的には「はんこ」とよばれます。会社や個人などが所有し、役所に出す書類や契約の書類、配達物の受取書など様々な書類で証明や確認をしめすのに必要なものでした。動物の角や金属、木などでできた立派…
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第378回 他に類を見ない摩崖仏の傑作―狛坂摩崖仏―
栗東市 2022年4月13日紫香楽宮(しがらきのみや)跡の北方に広がる山地、現在の栗東市南部と湖南市にまたがる地域には、東大寺を開山した良弁(ろうべん)による開基を伝える寺院がいくつも存在します。空海が密教を体系的に伝える以前の…
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第365回 鈴鹿峠越えの安全を祈る-甲賀市土山町・田村神社-
甲賀市 2021年12月8日東海道の難所のひとつである鈴鹿峠。そのたもとで古来より旅人が交通安全を祈願した田村神社があります。御祭神として平安時代の征夷大将軍として高名な坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)、…
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第355回 やっと拝観できた山上の本堂―近江八幡市桑實寺
近江八幡市 2021年9月8日近江八幡市安土町にある滋賀県立安土城考古博物館に通勤するようになって、1年と4か月。しかしその間、JR琵琶湖線安土駅と博物館を自転車で往復するばかりで、安土町内の史跡・名所をまったく見られていないこと…
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第354回 地名の由来になった遺構が残る遺跡―大津市石居廃寺跡
大津市 2021年9月1日琵琶湖から流れ出す瀬田川には、琵琶湖の水位と下流に流れていく水量を調節する瀬田川洗堰(あらいぜき)が設けられています。この洗堰から東側へ1.6㎞ほどの距離に、石居廃寺跡(いしずえはいじあと)は位置して…
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新近江名所図会
新近江名所圖會 第352回 異世界へようこそ 居並ぶお地蔵さんと風車―愛荘町湖東三山・金剛輪寺―
愛荘町 2021年8月11日愛荘町の金剛輪寺(こんごうりんじ)は、百済寺(ひゃくさいじ)・西明寺(さいみょうじ)と並んで湖東三山(ことうさんざん)の一つとして、紅葉の名所として有名です。湖東地域のみならず滋賀県を代表する天台宗の…
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オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 №302 冷や汗”は極上のスパイス!? 終了間際に顔を出した巨大な遺物 ―草津市黒土遺跡出土の刳り抜き井戸―
草津市 2021年3月17日わたしたちが発掘調査を行う際に、いつもに頭に入れておかなければならないことがあります。それは、発掘調査の期間です。あらかじめ計画された期間の中で、できうる限りの記録をとることにより、その遺跡の在りし姿…
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新近江名所図会
新近江名所圖会 第335回 真野の入江と2つの神社-大津市神田神社
大津市 2021年1月20日JR湖西線堅田駅から北へ、真野川を越えたところに東西に少し開けた場所があります。この地は現在真野と呼ばれているように、真野氏が居住していたと考えられます。真野氏は持統天皇4年(690年)に和邇部臣から…
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